ロウ人形館 ? 内子 芝居小屋   2001.6.22

《内子にはしゃべるロウ人形?館がある》   

内子は松山の南西、JRで1時間ほどの山あいの町である。
観光地でもなさそうだし、たいして期待もせずに訪れたが、なかなか、面白いところであった。
ちいさな街なので、歩いて回れるが、丁寧にというか、ちょっかい出しながら(二人で漫才しながら?)見ていくと、半日はたっぷりとかかる。

内子町のメイン「木蝋と白壁の町」(八日町・護国地区町並み)へ行くまでの通りを、
とぼとぼ歩いていると、

← http://www.islands.ne.jp/uchiko より 
「あそこ、なんか、古そうな店やなぁ」
「たいそうな看板上げて、漢方薬でも売ってんのかぁ?」
「店ん中で、番頭さんが座ってるでぇ。こっち見てるでぇ」
「まだ、見てるでぇ、睨んでるでぇ」
「ん?あれ、人形ちゃうか?」
「ほんまや、着物着て、帳場に座ったはる。ここ、何やろ」

改めて、近寄って案内板をよくよく見れば、
【商いと暮らしの博物館】
「おもしろそうやン、入ってみる?」
「見るのん、お金かかる?」
「障害手帳で割引あるかなぁ」
「ダメもとで出してみよ」

おそるおそる遠慮気味にたずねたら、
「どうぞ、どうぞ、手帳お持ちの方は無料ですから、ごゆっくり」
とニコニコと言ってもらえた。

この博物館は、明治の薬商「佐野薬局」の建物と敷地を内子町が
買い取って、大正10年頃の商家の暮らしを再現、公開している。
帳場の主人の後ろのガラス戸棚には様々な薬ビンがしまわれている。
養命酒や、赤玉ポートワインもある。ケチャップも売っている。
店の後ろの部屋では、ロウ人形家族が朝ご飯を食べている最中。

「お味噌汁、ダイコンが入ってるなぁ」
「おかずは沢庵だけやわ。あんないっぱいお漬物食べたら、すぐ、高血圧やで」
「けど、白いご飯やんか。麦ごはんとちゃうで」
「お金持ちやってんわ」
そこで、突然、何か、話し声が聞こえる。
「だれか、しゃべってる!」
「他にお客さん、見にきてる?」
「だれも居てへん」 そっとあたりを見回す二人。
「ここでしゃべってるねん。どっかでテープまわってるねん」
「なにゆうてるん?」
「わかれへん。方言みたいにしゃべってる」
とまあ、人工内耳のハンパの耳では聞き取れぬ。

裕福な商家らしく、部屋数も多く、二階も広くて、板敷きの部屋もいくつかある。
板敷きの薄暗い部屋の真中に、畳一畳敷いて、丁稚どんがどてらを羽織って、帳面になにやら書いている。

「残業やらされてるわ」
「後ろに、お布団敷いて、はよ、寝たいやろに」
「もう、ちょっと近づいたら、また、しゃべり出すで」
「こんなとこで、ひとりごと言われたら、こわいな」
「丁稚どんの前に行ってみぃ」
「ほら、何か、ゆうてる、ゆうてる」
例によって、真夜中のつぶやきは理解できず。

土間では女中さんが流しで朝食の洗い物をしている。
ほつれた髪、やつれた横顔。
ひそひそと流れるためいきか繰言か…
「なにゆうてるか、わからへんし、よけい、こわいなぁ」
「何か、動いてるで」
「えーっ、手ェや、手ェ。タワシ持ってる手が動いてるネン」
そのタワシも昨今のパームタワシじゃなくて、ちゃんと稲藁タワシに
なってるのもよろしい。
「一人炊事場でタワシこすって、独り言ゆうて、暗いなあ」
「悪口ゆうたら、女中さん睨むで。ああーっ! 首が回った!」
ギィーッ…ギィーッ…
アホか、エクソシストちゃうっちゅうの!

その他、隠居部屋、客間、納屋でもロウ人形さんがつぶやいていた。
(注・ロウ人形ではなくて、マネキンさんです)

2階からは、昔ながらの中庭と土蔵を見渡せ、虫籠窓(むしこまど)からは、
内子の町の、のどかな昼下がりがあるばかり…

《内子の町は幼い頃のなつかしい風景》

内子の町がまだ活気があって賑わっていた頃、大正5年に【内子座】が造られた。
ボロボロになっていたのを、昭和60年に町が買い取って往時の状態に復元して、公開、イベントなどに利用している。

幟がはためき、田舎の芝居小屋に似つかわしくなく、りっぱである。

例によって、見学者は私らのほかに一組のみ。
ここでも、障害手帳を見せると、どうぞどうぞ、と優しい笑顔で、
パンフレットをくださる。
(タダやったから、内子町の宣伝しているわけじゃありません)
これは愛媛県人の優しさなのかな。
京都のお寺なんかだと、手帳を見せると、半額になるところも多いが、つっけんどんもはなはだしく、
「タダで見るやつにはパンフももったいない」
とばかり、何にもくれないところがけっこうある。
京都はよそもんには冷たいからね。

靴を脱いであがらせていただく。
小さいながらも、花道、回り舞台があり、客席は桝席である。
舞台は広々として、後ろは松の絵の背景。
演芸場の雰囲気がプンプンと漂ってきて、役者魂が騒ぐ…ウソです。

「だれもいてへんし、ここでなんか演技しよか」
「ほれ、だいぶ前にやった漫才やろう」
「お客さんいてへんからやる気出えへんわ」
「そんなら、晴れ舞台の写真でも撮っといてちょうだい」
「はい、チーズ」「ほい、ポーズ」  カシャッ、ピカッ。
相変わらずのコンビである。
二階の客席は「大向こう」という。
低料金で、常連さんや劇通が多いので、「大向こうをうならせる」
という言い方をする。
舞台の下は「奈落」になっていて、回り舞台は手動で大きなロクロみたいなのをまわすことができる。

内子座は現在も年間80日も稼動しているとのこと。
歌舞伎の中村梅雀の父上(名前忘れた)の興行ポスターもあった。
ちなみに、人工内耳懇談会に馳せ参じてくださった橋本聖子議員の講演会も
翌日(6/24)に予定されていた。懇談会がついでだったんか。

ぱらぱらと小雨の降る通りをブラブラと歩いていく。
目指すは内子町メインの八日市・護国地区町並み。
ここは国の「重要伝統的建造物保存地区」
要は「昔ながらの町並みが残ってるし、このまま大事に残しておいて、
観光客いっぱい来てもらって、町おこししましょう」 である。
でも、やっぱり、ひっそりとして、人影も見当たらず。
白壁と屋根瓦が美しい通りが600メートルほど続いている。
美容院も表向きは民家風に土壁や格子戸で、慎ましい佇まいである。

ふと、幼い頃に帰ったような錯覚に陥る。
おかっぱ頭に(ワカメちゃんカットか、はたまた、ちびまるこちゃんか)
下駄履きの自分がひょいと角から飛び出してくるような…
だいたい、町並み保存地区というと、高山、妻籠、などあまりにも昔過ぎて、
安物の映画のセットみたいに見えるところが多い。
内子のような昭和の初め頃までの町並みだと、ほんまもん の味がして、
やたら懐かしくなる。
これくらいの保存なら、住んでる人もそう、不便なこともないだろう。
合掌造りなぞ、見るからに不便で、寒そうで、よう我慢してはるな、と思う。

木蝋資料館を見たり、昼食を取ったりして、ゆったりと時が過ぎてゆく。
ウイークデーではあるが、あまりにも人気がなく、こんなんでは内子町も
赤字では?とよけいな心配もしたくなる。
帰りぎわ、写真のシャッター押してもらう人も見当たらないので、工事車両の
旗振り兄ちゃんにお願いしました。

「すんません。押してください。後ろの通りがちゃんと入るように…」
「はいはい、いきますよ…」とうるさい注文をつけるおばちゃんたちの
構図を探ってるうちにタクシーがやってきて、
兄ちゃん、あわててカメラを小脇にして、赤旗を振りかざして迂回指示。
ホントに、お仕事中ごめんなさいね。

タクシーが通り過ぎた後、人っ子ひとりいない通りに、ちょこちょこと学校帰りの
子どもたちが入ってきた。
三々五々の黄色い帽子がなければ、それはランドセルをしょった、幼い頃の
私たちの姿そのままの情景であった。

inserted by FC2 system