夏みかんと鯉 萩・津和野の旅 早春の山口  2002.3.19 

3/10〜3/11 に萩・津和野ツァーに出かけた。

バス旅行は安価ではあるが、長い時間拘束されるのがイヤで、奮発して(それでも安い)行きは新幹線、帰りは飛行機のツァーを選んだ。

それなのに、なんと岡山の隣の福山駅で新幹線を下ろされ、後はバスで3時間かけてやっと津和野へ。何で、小郡まで乗せてくれへんの!旅行代金と行程はきちんと調べて申し込みましょうね。

津和野は28年振りである。なんだか、えらいこぎれいになっちゃって、昔の山間のひっそりした佇まいは影も形もなし。今でこそ、古そうにしつらえた街並みの堀に鯉を泳がせているところは、全国数え切れないほどたくさんあるが、津和野が最初ではなかっただろうか。その鯉だって、もっと、つつましく、色も控えめに素朴に泳いでいたように思う。それが今じゃ、うじゃうじゃとひしめき、これ見よがしのドハデな色と模様で観光客を欺き、鯉のエサと称する麩をたらふく食って、丸々と太っているのである。

メイン通りも石畳が測った様にきっちりと敷き込まれ、家老屋敷の門は磨き上げられて、時代劇のセットではないんだからね。テーマパークや映画村は見て楽しめればいいけれど、だいたい、あんな全国一律お決まりの町興しパターンでええんかい?

今、私たちが懐かしいと思うのは、たぶん、昭和30年代頃の暮らしや風景ではないだろうか。アスファルトではない土の道、アルミサッシのない窓枠、プラスチックのない生活、木の電柱、アースのトタン広告etc. 中国の街によくあるタイムスプリットしたような私たちの原風景。そして、今もそこに人が住んで生活していること。こんな街の風景はもう、日本では見られないのかもしれない。こういう風景こそ残して欲しいと思う。でもまあ、住んでいる人にとっては不便ではあろうけど。

と、いろいろ皮肉をつぶやきながらも、エサを買って成人病予備部隊の肥満鯉とともに、チーズ…と写真におさまる私であった。

                
     
           津和野のメインストリート             過密の鯉たち

翌朝、春の日差しがまぶしい中、秋吉台・秋芳洞観光へ。
秋芳洞は しゅうほうどう と読むのかと思っていたが、秋吉台は あきよしだい、秋芳洞も あきよしどう と読む。
しゅうほう と読むのは秋芳町の地名のときである。現地のバスガイドさんから聞いた話だ。
ガイドのアナウンスは聞こうとダンボ耳にすれば、8割くらい聞き取れたが、しんどい。
人工内耳ではやはり、早口が一番聞き取りにくいように思う。

秋吉台と秋芳洞は今も昔も同じ姿、あるがまま。40年前もこんなだったわ。
鍾乳洞の中のウス暗く、湿ったカルシウムの匂い(んなもん、するわけないやろ)、地底界のおどろおどろしき怪しげな物体も、大人しくスタンバイ。百枚皿、マリア観音、五月雨御殿、傘ずくし、
黄金柱とこちらは古きよき時代のネーミングである。たまには、
「お〜い、大黒柱くん、ちょっと、場所交替せえへんか?」
と岩窟王くんも言ってみたいと思うけれど、
「ボクな、天井と床をくっつけてるし、動かれへんねん。なんせ、晴れて大黒柱になるまでには、ものすごい年月かけてるし、今、動いたら、秋吉洞の天井落ちてくるし…」
そういうわけで、岩窟王くんも我慢の子、忍耐強く、同じ姿勢で我々を迎えてくれたのであった。

        不動の2人        

怪しい地底探検を後にして、秋吉台は広々と悠久な眺めである。
2月の野焼きのあとのカルストがニョキニョキと露出して壮観でもあり、太古からの無数の生き物たちの墓標群にも見える。
今年も春がやってくる。幾歳月、変わることのない営み。カルスト台地に伸びる1本の木が本格的な芽吹きを待っている。

萩は明るくやさしい町であり、何回訪れても好きな町である。
日本の夜明け、激動の舞台となったとは思えないようなのどかさだ。
山口県は歴代総理大臣輩出数がトップであるらしい。
こういう豊かそうなところに住んでいれば、何も不満はなく、政治を目指す者も出てこないような気もするが、たぶん、山口は情報が多かったのではないか。視点が日本全国、世界に向いていたのではないかと思う。この明るさの元では何かを隠そうとか、このまま現状維持という心理よりも外へ、未知へと心理が働くような気がする。

               
              
萩には夏みかん                  なまこ壁の蔵

というわけで、フグをいただき、温泉にゆったり、の早春の旅はおしまい。
今回も相変わらずの晴れ女3人連れは石見空港から無事に帰阪したのでした。
                                   

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