勝手にコーヒーブレイク (66) 《亡き義父へ寄せて》


 
昨日できたことが今日にはできなくなる。病気や事故ではそのようなこともあるが、老いはもう少し緩やかに、今日できたことが半年後にできなくなることが増えてくる。坂道をゆっくり下るように衰えていくんだろう。

 『俺に似たひと』は息子による父の介護の記録であるが、よくある介護手記と違い、父と息子の間の距離感や戸惑いなどが哀歓こめられた物語になっていて、心にじんわりしみてくる。

 都内で別に暮らしていた両親のうち母親が亡くなり、残された父親の面倒をみるために、実家に戻ってきた俺(作者)、まずは実家のリフォームから取り掛かることになる。「実家の台所の上下の棚には日本中のガラクタを収集したのではないかと思う」ほどの不用品がぎっしり。トラック2台分のゴミガラクタを処分して、家事は何もできない父親との二人暮らしを始め、仕事を持ちながら淡々と家事と介護を引き受けることになる。掃除や洗濯にそれほど経験は要らず、意欲さえあればできるが、料理はね。こうなると、料理のできるというか、やろうと思う男性は強い。

今、親の家の片付けの本がいくつも出版されている。実家の片付けというのはものすごく体力と気力とお金もかかる。私の場合、3月に隣に住んでいた義父が亡くなり、家はそのまま空き家なので、すぐに全部片付ける必要がないが、夫が選別して少しずつ捨てた。残しておいても、私たちが死んだときに、息子たちがまた片付けに奔走することになるから、いっそ、一切合財処分するほうが簡単かと思うが、自分ちの不用品も片付けないと…

義母の急死以後、義父は93歳までの2年を生きていたことになる。義父はうちで食べる夕食以外の家事、掃除や洗濯、後片付けなどは最後の半年前まで自分でしていたので、それは私にも大助かりではあった。

 この本にも載っているが、元気で家事一切を取り仕切っていた母親も少しずつ衰えていたのに気付こうとしなかったと。毎日買い出しをするという行動、そして、毎日刺身ばかりだったという。義母もそうだった。毎日シルバーカーを押して、遠くの百貨店までおかずを買いに行っていたけれど、料理をする気力も体力も衰えていた。私がおかずを差し入れても世話にはなりたくないような感じで、配食サービスを勧めたら「何が入っているがわからんし不味い」と続かなかった。部屋の隅に片付かない物がどんどん積まれていく。

 親を見送った経験のある人はわかるけれど、葬式を済ませたあと、相続の書類、役所と銀行の届け出、各種名義の書き換え、確定申告など、「人間が生きていくのはさまざまなしがらみや経済にがんじがらめにされるということである」目に見えるモノだけではなく見えないモノまで含めたら、死んだらそれでチャラ、お終いと簡単に幕引きできるわけでもないんやね。

 最終章の「その後のこと」を読むと、義父が亡くなったときのことが思い出されて、胸が詰まる。義父もまた、身内がそばに居なかった夜中過ぎに旅立ったのだった。1ヶ月半の入院中、ベッドから降りようとしたり、点滴の管を引き抜こうとするので、拘束されていたのも痛々しかったが、どうするすべもなく衰えていった。本の中で父親が「お風呂はいいなぁ」と何度も繰り返すところには、入院中でももっとお風呂に入れてあげればよかったと思う。老いとは、ただひたすら「途方にくれる」という状態なのかもしれない。ああ、長生きはしたくないなぁ。ちなみに義母も義父も介護保険はほとんど使わずに亡くなった。そういう意味では天晴れかもしれない。

 「何も起きないことが何よりも貴重であると思わなければいけない」平穏は日向のようにありがたいのだ。ただの手記やルポではない物語、それが私の心にも深い余韻を残してくれるのである

『俺に似たひと』 平川克美  医学書院

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