勝手にコーヒーブレイク(64)   《田舎暮らしは怖い?》 

       
 2年前に義母が急死して以来、我が家で夕食を共にしていた以外は、ほぼひとりで自立していた義父もこの3月に93歳で亡くなった。二親とも高齢だったから物の整理もされないまま、隣の家は空き家となり、夫が少しずつ片づけてはいる。ますます子どもには頼れなくなるこれからの老後、最近は終活意識も浸透してきたが、還暦過ぎの年ではなかなか始められないのも実情である。

数年前に断捨離教にハマった娘にせっつかれて衣類はだいぶ処分した。続いて、本の処理を急かされて、昨年に私の蔵書の大半を処分した。しかし、これは今もトラウマになっている。別に置いとく場所に困らなかったのに、よそで1人暮らししている娘に迷惑かけているわけでもないのに、なんで処分してしもたんやろ。本は捨てるもんじゃない。たとえ、もう二度と読まない本であろうとも手元に置いておくべきだった。捨てるなら私が死んだ後にしてくれい。後悔先に立たず。

 というわけで、私自身はまだまだ死ぬには早く、人生これからだと思っているわけで、この4月から完全リタイアになった夫も市民農園を借り、元気よく畑生活スタートである。平均寿命にはまだ大丈夫なんだけど、世の中、やっぱり、惜しまれて早く亡くなる人も少なくなくない。

書き盛りの作家が亡くなると、あまり本を読まなくなった私でも、ああ、もったいないなぁ、もう読まれへんのやなぁと残念な気持ちになる。今年1月に55歳で亡くなった坂東眞砂子、3月に57歳で亡くなった山本兼一、共に直木賞受賞作家である。まだまだこれから書ける作家だったのに。坂東眞砂子は昔「死国」を読んだことがあるだけだが、惜別の念で「くちぬい」を読んでみた。元々、ホラーっぽい作家であるが、やっぱり「くちぬい」も怖かった。

夫の定年を機に高知の山村に移住してきた夫婦。福島原発の放射能恐怖のため東京を離れたかった潔癖症の妻、田舎で趣味の陶芸を思う存分やりたい夫。陶芸用の良い土のある小さな集落の奥まったところにりっぱなログハウスを建てる。夫は家の裏に穴窯をこしらえて陶芸に没頭、妻は前庭でハーブなどを栽培して、田舎暮らしの楽しみや陶芸教室の案内をブログで発信してそれなりに慣れていく。村人たちも表面上は愛想よく特に問題もなさそうだが、ログハウスのそばの「赤線」と呼ぶ通り道は村の氏神さんである「くちぬい」さんの神社へと登って行く。穴窯の位置がちょうどその赤線の真上に!悪いことをすると罰が当たる。口を縫われてしまうのだ。

田舎暮らしは順調に始まったかとみえたが、得体の知れぬことが次から次へ起こり、何気ない嫌がらせのようなことが続く。ハーブが枯れる、水源からパイプで引っ張ってきた水に毒が入っている?飼い犬の様子もおかしい?最初は気のせいだと言っていた夫もしまいには対決姿勢を取り出して、そしてある日、村人たちが猪狩りへ…ひぇー!怖−っ!

東京にそのまま住んでいたら、まあ、ふつうに夫婦のすれ違い感は続くやろけど、こんな悲惨なことにはならへんやろに。これ読んだらとてもじゃないけど、流行りの田舎暮らしなんて怖くてできひん。ま、小説ですが。

私自身は田舎はたまに訪れる分にはええけど、住みたい欲はない。運転できないと田舎には住めないし、高齢で運転できなくなったら買物と通院でたちまち立ち往生だろう。山村をドライブするたびに、夫もこんなとこで年取ったらどうするんやろ?と。

田舎暮らしといっても仙人生活するわけではないので、人間嫌いな人には田舎暮らしは向かず、地元の人たちと仲良く付き合えて、地域の共同体に溶け込む覚悟も要る。

山は好きだけど、人付き合いが面倒な私、たとえ、家が狭くても人が多くても、便利で気楽な半都会暮らしがいいです。

『くちぬい』  坂東眞砂子   集英社
 

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