勝手にコーヒーブレイク(63)   《菜園の四季》           

日本の平均寿命がトップレベルなのは、和食ヘルシーな食生活も大きいが、日本独特の助け合い精神が生きているから。向こう三軒両隣、遠くの親戚より近くの他人が、顔見知りにおせっかいを焼く。アメリカは皆保険制度ではないが、最新の医療を受けられるはずの中上流階級の人々でも平均寿命が短いのだそうだ。その助け合い精神は農耕民族に由来する。いわゆるムラで一致団結してことに当たらなければ、農作業はやれないってことだ。

『耕せど耕せど―久我山農場物語』は『自転車ぎこぎこ』『こぐこぐ自転車』の著者の農場経営の本である。いったいどんな農場なのだぁ?とタイトルに騙されて、読み始めると、農場というのがいわゆる家庭菜園、それも自宅の庭の一部およそ15坪ほどの畑のことである。ハッタリなタイトルです。

伊藤礼、齢80を超えた身には耕すこともままならず、「耕せど耕せど、なかなかである」が、老翁の志は高く、菜園用耕うん機のエンジンカルチベーターを購入して、農場経営に足を踏み出すというか、足をすくわれるというか。思いつきで仕入れたミニ耕うん機も2年ほど物置仕舞い。なんとか引っ張り出しては、元教え子に耕うんを手伝ってもらったりする。

その耕うん機の動かし方が詳しく載っていて、妙に懐かしかった。私は農家生まれで、15年ほど前まで実家では田んぼを作っていた。87歳の父は今も少しばかりの畑を世話している。祖父は大阪で稲の二期作など実践した農業一筋の人だったので、昭和半ばに時の総理大臣鳩山威一郎から黄綬勲章をいただいた。田んぼ作業には耕うん機や発動機は欠かせず、蔵にはいつもガソリンの臭いが漂っていて、ちょっといい匂い(ってシンナー中毒じゃあるまいし)。発動機にガソリンを注入して、それからねじをちょっと触って、そして、巻きつけた紐を勢いよく引っ張る。たいてい、1、2回はうんともすんとも言わず、巻き直し、3、4回目くらいでグルグルプシュで、また、だんまり。ようやく5回目くらいでバタバタとたいそうな音を立てるのだった。音がして動き出せば、ようやくその日の農作業を開始できるである。

老翁は何を植え付けようかと思案する。まず、いつでも好きな時に好きなだけ慈姑を食べたいと欲する。実際、慈姑を食べるのは正月の限られた1日か2日だけで、正月以外に食べたことがない。今年のお正月は私もがんばって娘と2人で豪華お節をこしらえたが、それでも慈姑は入れなかった。しかし、翁は慈姑食べたさに何としても作ってみようと、慈姑栽培にとりかかり、慈姑に振り回されるのである。農場といっても家の庭なので、田んぼのような泥田の代わりにプラスチックの大型箱に慈姑を植え付ける。

「行く年やクワイクワイの忙しさ」

農業と言う事業は耕耘、施肥、種まき、育成、草取り、収穫、消費からなる。しっかりした構想に綿密な実践が要る。大きな農場でも、たとえ猫の額でも同じである。

『耕せど耕せど』にはそのときどきの季節の作物や畑の様子が書かれているが、何せ、しょうもないことを詳しく書くものだから、なかなか進まない。夏の3か月間は草ぼうぼうで、作物はすべて草むらに埋もれて何も見えないというのも素人っぽくて楽しい。「何も植わっていないということは心が休まる。心を労する必要がない」と感慨深げなのだ。草の一本も生やさず、隅々まで手入れの行き届いた完璧な菜園でないのがよろしい。そうやってマニュアル通りにやったとしても、年ごとに種類ごとに当て外れがあるらしい。生き物相手は空模様相手みたいなもんである。

笑えるのが老先生、寝床で尿瓶を使う技を詳しく書き記している。

『耕せど耕せど―久我山農場物語』

伊藤 礼  東海教育研究所 

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