勝手にコーヒーブレイク(59)   《本当の黄門さま》           

水戸光圀といえば、ご存知水戸のご老公、天下の副将軍、黄門様である。テレビドラマの水戸黄門はすでに終了してしまったが、ときどき見ていました(笑)。

 しかし、考えたら、水戸光圀その人自身のことはほとんど何も知らんのよねぇ。日本史の教科書で、なんか「大日本史」を編纂したということくらいしか頭にない。

 ちなみに「控え居ろう!この紋所が目に入らぬか。ここにおわす方をどなたと心得る。 恐れ多くも先の副将軍水戸光圀公にあらせられるぞ。御老公の御前である、頭が高い」の決めセリフはドラマ独自のものであり、ドラマの元になった明治時代に作られた「水戸黄門諸国漫遊記」もフィクションである。光圀自身は鎌倉より遠い場所には出かけたことはないということだ。

 ドラマの黄門様のイメージしかないのに、それが、「光圀伝」として冲方 丁(うぶかた とう)の手にかかるとすごい人物だったのだぁと圧倒される。ハードカバー750ページは寝床で読むには重くて、なかなか読み進めなかったが、読み始めると2時間くらいぶっ通しで読めた。同じ作家の時代小説の江戸の改暦を材とした「天地明察」も面白く読めたが、私は光圀伝のほうがドーンと心にずしりと読み応えがあった。

 光圀は徳川家康の孫であり、徳川御三家のひとつである水戸藩の2代目藩主である。父水戸頼房の三男として生まれたが、長男は病弱、次男は夭逝で、光圀が水戸家の跡継ぎになった。しかし、義の人である光圀は、本来の跡継ぎである病弱の長兄頼重を追い出して、自分が藩主になってしまうことを極端に不義理に思い、また、幼少期に父から厳しくされたことにも鬱屈した気持ちを抱き続けていた。晴れて藩主になったのち、自分の跡継ぎには兄の息子(光圀の甥)を指名して、ようやく大義を果たすのである。兄頼重もまたよくできた人で、幼少のころより老年期まで生涯を通じて光圀のよき模範、相談相手となる。そして、弟の光圀を立てて、自分は別の大名家を継ぐことになった。親兄弟を蹴落としてまで藩主になりたがる、または、お側の家来集に担がれるなど、跡目争い、お家騒動に事欠かない大名家としては珍しくかたくなに筋を通したんですね。

 光圀若いころの自由闊達放埓ぶり、光圀を囲む綺羅星のごとくの友人たち、京の公家から光圀の元に嫁いできた教養豊かな泰姫。青春のときをともに過ごした若者たちも魅力たっぷりに描かれている。心を許せる友や姫との語らい、ああ言えばこう言うツーカーの会話は今と同じである。しかし、まぶしいほど輝いた時も数年で終わり、親友も妻もその生涯は短く、光圀は次から次へと、幾度も悲哀のどん底に突き落とされる。

 「死を覚悟した病人や怪我人に、生きろと命じることほど残酷なことはない。なぜなら、本人が誰よりも生きたいと思っているからだ。…残された時間で、死を受容することに全力を注がなければならない。受容しない限り、死はただ恐ろしく、無慈悲で、絶望するしかないからだ」「わたくしが、お傍におります」残された者にできることは、ただ付き添うことだけなんですね。

 怒りは虎のごとく吼え、全身で喜びを表現、人間味たっぷりの光圀、不断の学習に、不屈の精神で、望まぬ殺生も厭わず自らの手を汚し、水戸藩改革、徳川幕府安泰のために取り組んだ名君の姿を余すところ無く紹介されて圧巻の小説であった。わき役には宮本武蔵や、沢庵和尚、徳川綱吉、林羅山の四男林読耕斎、暦の安井算哲、会津藩主の保科正之等、そうそうたるメンバーが配され、映画になるなら、主役、脇役はだれがいいかなぁと、そんなことも思い浮かべるほど、ドラマチックで華やかな小説でもある。

『光圀伝』  冲方 丁   角川書店

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