勝手にコーヒーブレイク(57)   《言葉を繰ること》

 こうやって会報の原稿の駄文を書いたり、毎日更新のホームページブログの文章を書いていると、しばしば語彙不足を感じて情けなくなる。若いときから少しは書くことに興味はあったが、特別に書くことが大好きというほどでもなく、それでも文章を綴ること自体に苦痛はない。面倒くさいなぁと思うことはあっても。ただ、困るのはちょっとした感想である。ほら、映画や講演、食べ物などのアンケート、何書いていいかわからず、たいてい白紙。「面白かった」「よかった」「美味しかった」でおしまい。私って相当感性鈍いんちゃう?レストランで少し豪華な食事をしたら「めっちゃ美味しかった」以外に表現できひんのかと思う。今年の5月に訪れた憧れのイギリスの田園風景、「とってもキレイやった」以外に他に言いようがないんか?と思う。

 昔はもっとまともな文章を書けたのに、最近はなんか紋切り型の文句が並ぶありきたりのものしか書けない。あまりにも同じ単語が続くので、手元の類語実用辞典にもよくお世話になる。

パソコンで文章を綴るとき、私にとっては書くというより言葉を積み上げていく作業である。手直ししたり、言葉を入れ替えたりして、省いたり付け足したり、校正を繰り返すと、一応読みやすいものは出来上がるが、本当の文章というのはこころの底からの抑えきれないあふれ出る思いを吐き出すということだと思う。もっと真摯に言葉に向き合わないとアカンと思う。でも、今さら手書きで文章を書けと言われても、もちろんひとことだって書けない。

『舟を編む』2012年本屋大賞受賞作品。

「言葉の持つ力。傷つけるためではなく、だれかを守り、だれかに伝え、だれかとつながりあうための力に…」ですね。

 日常生活ではたぶん、数百語くらいしか使ってないと思われる私ですが、日本語の言葉を何万ときに何十万と並べてひとつひとつ意味や用例を付けて、全部で何千ページにもなるというのが国語辞典なのだ。

『舟を編む』は地味な国語辞典を企画から発行まで15年かけて編んだ出版社の編集部の個性ある人たちの小説である。目はしょぼつくし、記憶力は悪くなるし、もう、無我夢中で小説を読むことなんてないやろなぁと思っていたのが、まだまだ夜中1時過ぎても止められない小説ってあったんや。辞書を作るための手順、使う用紙や印刷、気の遠くなる膨大な作業などがわかりやすく書かれている。人間関係の迷いや恋、青春小説風でもある。

 登場人物は辞書一筋の老学者、定年間近の辞書編集員、見込まれて営業部から引き抜きされた変わりモンの馬締(まじめ)さん、辞書編集には不似合いのお調子モンの西村さん、しっかりものの中年女性編集員、新入り女性、女料理人のかぐやさん、下宿の大屋のたけおばあさん。猫のとらさん。登場人物がそれぞれ輝きを持って暖かい視線で描かれている。ひと癖ふた癖ある人たちの熱い思いは、ただ「大渡海」(辞書は言葉の海を渡る舟だ)という辞書を発行することに注がれていく

 「右という言葉の意味をどうやって表しますか」左でないもう片方。なんて説明の仕方は×。読みながら私も考えてみて「北の方角に向かって立ったときに、東の方角になるもの」と考えたら見事○だった。しかし、「しま」の意味はどう述べる?「島」「志摩」「縞」「死魔」?「島」なら四方を水に囲まれた地面??

 もし、無人島にひとり取り残され、本を1冊だけ持っていけるなら、どんな本を選びますか?という質問に、辞書があがることが多い。今まで、ふーん、そんなもんかいな、と気にもしなかった。それに、最近、いや、以前も辞書なんてほとんど引いたことなかったけれど、辞書ってすごいんや。あ、ここでまた、決まり文句の「すごい」、他に言いようがないんか。ホンマに

 『舟を編む』   三浦しをん  光文社
 

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