勝手にコーヒーブレイク(56)   《明るい難病生活》

 前号の会報の「勝手にコーヒーブレイク」はよんどころない事情でお休みしました。待ってくださっていた人がいたら申し訳なかったです。って、そんな奇特な方いるわけないけど、自己満足でまだまだ続きます(笑)

 原稿の締切日に余裕をもって書き上げていれば、間に合ったはずなのに、あ、もう締切や…と思っていた矢先の1月末に、義母が急逝。我が家の隣に住む夫の両親は齢91歳と88歳で2人で生活していた。食事、洗濯、掃除という家事一切を自分たちでこなし、親が元気なうちに好きなことをしとこうとばかり、私は20年以上出歩いていたわけで、ま、親孝行らしきことは何もしてなかった。義母は寝込むことなく、病で苦しむことなく、入浴中にあっけなく亡くなってしまい、自分も死ぬときはこういうのも悪くないなと思ったり…

 それでも、いつ急死してもかまわない状態にはしておかないと、周りの者が困る。あとに残された義父は自分のことは自分でできる人ではあるが、食事の用意はダメ、衣類もよくわからず。家じゅうに不用品が山と残り…いきなり、全面的に義父のお世話が私たち夫婦に降りかかってきたので、たいへんでしょう?と同情されたりしたけど、私にしてはけっこう淡々と黙々とこなしている。というほどの世話もしてへんか、とりあえずは、夕食と入浴だけは我が家で済ませてもらい、洗濯と掃除少々。夫と2人のときは手抜き夕食も少なくなかったのに、義父が増えて、食事はきちんと3品揃えである。

 今は元気な義父だが、何しろ高齢だから、遠からず介護の日はくるだろう。友だちなどに聞いても、ヘルパーさんに来てもらったり、デイサービスに行ったり、グループホームや介護施設に入居している親御さんも少なくない。自分の老後も含めて、ま、なんとかなるであろう。どうせ死ぬときはひとりだし、ひとりで死んでも早めに発見はしてほしいが。

 ということで、介護保険もあり、高齢者の介護体制はわりと整ってきたように思える。とはいっても、手持ちのお金がなければ、しんどいにはちがいないだろうが。

 困るのは障害や難病で介護が必要になったときかもしれない。働き盛りの人や若い子が交通事故や病気などで介護が必要な状態にあると、どれだけたいへんか…

 前置きばかりが長くなってしまいましたが、  『困ってるひと』は、ボランティアでミャンマー難民支援に駆けずり回っていた女子大学院生が、ある日突然「筋膜炎脂肪織炎症症候群」という超難病に罹ってしまい、1年間の壮絶検査入院と9カ月の入院生活のお話である。いわゆる障害難病もののワタシがんばってます!お涙ちょうだい物語には仕上がってないので、すらすらと、時には笑いながら読めてしまう。スゴク深刻な状況なのに、いったい、この元気と負けん気はどこから湧いてくるんだろう。ついこないだまでミャンマーの人たちを助ける立場だったのに、それがいきなり、全て他人頼みの世話してもらう側の生活になってしまった更紗さん。想像できないほどの身体的苦痛がありながら、おまけに、自分を介護してもらうための方法を自分で探さなければならないという精神的苦痛がありながら、この突き抜けた明るさと可笑しさはなんなんだろう。

・なにがあっても悲観も楽観もしない。ただ、絶望はしない。

・パニックになる前に、ただ、どうしようかなと現実的に即物的に考え始める。

他人にとってわたしは「迷惑」そのものなんだという更紗さんが最終的に頼れるものは「社会」の公的援助しかないと、モンスター的複雑怪奇な日本の福祉制度に挑む姿に勇気とちょっぴりの笑いをもらえる。

 別の本『希望のスイッチは、くすっ』にも書いてたなぁ。「困ったら笑っときなさい」って。それができたら世話ないか。

『困ってるひと』 大野 更紗  ポプラ社

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