勝手にコーヒーブレイク(52)   《江戸の女料理人みおの恋》           

 時代小説はわりと好きなんで、ときどき読んでみる。現代小説と違って、リアリティがない分、肩も凝らず、エンタティンメントとして純粋に楽しめるからね。

 高田郁の「みをつくし料理帖シリーズ」は最初の1冊目は図書館で借りて、2冊目以降は予約待ちなので、待ってられへん、すぐに続き読みたい、と2冊目、3冊目と購入。4冊目は寝床で3時間で読み終えた。これだけイッキ読みしてしまったのも久しぶりで、早く、次のが出えへんかな。

 江戸時代、大阪で水害にあって両親を亡くした澪、大店の料理屋の下働きから始めて女料理人としてこれからというときに、この店が潰れて店のご寮さんと2人江戸に出てきた。

 貧しいけれど気のいい長屋の人々の暮し、つる屋という小さな食べ物屋の料理人として、江戸の庶民相手に日々、美味しいものを作ることに余念がない。大阪に居た頃の幼なじみで、仲の良かった呉服屋の娘が吉原の太夫であることがわかり、何とか手立てを考えて会いたいと願う。江戸の料理番付に高名な料理屋と肩を並べるまでに知られるようになっても、ライバルの店から嫌がらせを受けたり、食中毒の濡れ衣、長屋の住人たちの苦労など、ツライことも料理が全て忘れさせてくれると、けなげにひたすら包丁をにぎる日々を生きる。

 例によって、時代劇にありがちの、周りは良い人ばかりな嫌いはあるけれど、澪本人が美人ではなく、たれ目のおたふくなのが愛らしい。口は悪いがふらっとやってくる正体不明の侍、気さくな町医者、人情家のつる屋の主、母と慕うご寮さんの大阪弁にほんわり、多彩で魅力的な登場人物も際立っている。心に秘めた澪の小さな恋も報われてほしいな。

 1冊につき5編の連作短編は、タイトルにある季節の料理が紹介され、「ほろにが蕗ご飯」「忍び瓜」「ひょっとこ温寿司」など、巻末に詳しいレシピも載っている。ただの茶碗蒸しだって、なんとも美味しそうに書かれていて、思わず唾を飲み込みそうになる。それでも、レシピを見て作ろう!と思わないのが料理好きじゃない私の私たるゆえんですが。

 料理の基本は、そう珍しくも無い旬の素材をその持ち味を最高限度に生かして、見場よく味よく供することだろう。そのための下ごしらえや手間手順がとても大事なんだと思う。そして、それが上手くハマったとき、食べる人が美味しいと感激してくれたときが料理好きの醍醐味なのかな。料理好きな人は本当に作ることが楽しくってしかたないらしい。いろいろな手間も苦にならないみたい。

 残念ながら、私は料理は好きじゃない。美味しい不味いの味はわかるし、美味しいものを食べたらそれなりにシアワセにはなるが、グルメでもないので、今、人気の食べ物やお店の名前もよく知らない。ましてや、行列までして手に入れようとは全く思わない。全国的に有名になった「大阪堂島ロール」もついこの間、やっと食べたばかりだ。評判どおりに、甘過ぎず、くどくなく、さっぱりしっとり、皆が美味しいというわけだと納得した。が、それでも、食は忘れる。また、買いに行こうとか、今度もあれ食べようとか思わないのがグルメでない証拠だ。

 そんな私だから、毎日のおかず作りもいたってシンプル。凝った料理はすぐ飽きるし、できるだけ手間隙かけずに、素材を生かすと言いもって、ただの煮物かサラダか、魚肉は焼くだけの簡単調理ばっかり。塩辛くなければ、油っぽくなければ、夫は文句も言わずにきれいに食べてくれる。いろいろな物をまんべんなく、適量を薄味で食べれば健康間違いなしやから、ま、ええか。

「『食い力」といって、何かを食べると力が涌いてくるのよ」 そして、ときどきは目と舌で味わうプロの料理を堪能できればそれで食人生万歳だろう。

みをつくし料理帖シリーズ「花散らしの雨」「思い雲」「八朔の雪」「今朝の春」

高田 郁(かおる) 角川ハルキ文庫

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