勝手にコーヒーブレイク(48)   《ガネーシャの魔法》

 時代小説は割と好きなほうだ。池波正太郎の「剣客商売」や平岩弓枝の「御宿かわせみ」シリーズも欠かさず読んでいた。小説は単なるエンタティンメントだと思っているから、読んでいるそばから身につまされるようなものや、あまりに今の我が身の生活と共感できるようなものは面白くもなんともない。そいうわけで、昔から、小説に関してはほとんどミステリーや時代物ばかりだった。

 あさのあつこといえば、「バッテリー」など児童青春物の作家だと思っていたが、こんな時代小説も書くのか。

 ふつうの時代小説なら、まず、強くて人情に厚い同心やお侍が主人公であり、それを、岡っ引や若い友人、取り巻き、なじみの女が出てきて、事件が起きる。謎が深まって、走り回って解決と、常道どおりにすすむ。

 しかし、この「弥勒」の主人公の同心の木暮信次郎は強いことは強いけど、とにかく意地が悪いというか、人の嫌がるところをこれでもかと突いてくる。江戸町奉行の定回り同心でありながら、凄惨な事件が起きないと退屈だ、なんてうそぶいているとんでもない輩なのだ。正義の味方ヒーローには程遠い異色のキャラクターというべきか。配下の岡っ引の情け深い伊佐次も嫌気がさして、なんども手札を返そうと思うのだが、離れられないとくる。先代の旦那に義理立てしているのかと思えば、心のどこかで、市井の落ち着いた平凡な暮らしだけでは飽き足りない自分を発見したりする。

 江戸の町に凄惨な連続切り裂き魔事件が起こる。剣の達人清之介は訳あって武士を捨て、今は小間物屋遠野屋の若主人として店を切り盛りしている。恋女房を死なせてしまい、それでも町人として生きるしかない清之介。その闇に包まれた過去や殺人事件について、同心の信次郎に挑発されても知らぬ存ぜぬ、何食わぬ顔。2人の会話がヒリヒリするように面白い。

 あさのあつこの文章は一構文が非常に短く、句点が多いので読みやすい。情景描写も少なくないのに、パキパキして、こういうのはパソコンネットメール世代だからかなぁと思う。

 それと、この小説、とにかく、やたらに読みにくい漢字が出てきて、まるで、漢検テストしているような心地になる。こんな言葉があるのか、こんな読みなのか、と、へぇへぇと感じ入りながら読み進む。(ところどころ、振り仮名が付いているので、読み進めるわけで…)

夥しい、噯、無聊、闘諍、躓き、蠕動、恙無い、訥々、居職、足掻く、鵺、歪、虚仮、詰る、

貶める、謀る、鐺、肯う、縋る、弁える、鬻ぐ、銜える、騙る、拘る、疎か、諌める、焔、炙る、抗う、泥犁の底、悼む(答は文末)

 ああ、もう、キリがない。まるでバラエティ番組の「Qさま!」みたいだ。

「激しい高揚ではなく、静かに満ちる思いがあった」「目の前にやるべきこと、やらねばならぬことが見えたとき、人は頭を上げられるものらしい」

 ところどころ、なるほどなぁとうなずける言葉が混じっているのも、娯楽小説だけに終わらないものがある

「弥勒」「夜叉桜」 あさのあつこ 光文社 

(おびただしい、おくび、ぶりょう、とうじょう、つまずき、ぜんどう、つつがない、とつとつ、いじょく、あがく、

ぬえ、いびつ、こけ、なじる、おとしめる、

はばかる、こじり、うけがう、すがる、

わきまえる、ひさぐ、くわえる、かたる、

こだわる、おろそか、いさめる、ほむら、

あぶる、あらがう、ないりのそこ、いたむ

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