勝手にコーヒーブレイク(46)   宇宙飛行士のハズバンド》

 向井千秋さんといえば、日本女性初のそして、唯一の女性宇宙飛行士である。その夫が慶応大学医学部教授のオカッパ頭の万起男氏。ふつう、奥さんがチョー有名人であると、サポートやマネジャー業に徹するか、下手すると卑屈な夫になってしまうけれど、万起男さんはいたって自然体で、結婚後もアメリカ在住の千秋さんと別居婚を続け、休暇の時に渡米して2人で愉快なアメリカドライブ旅行をやっている。

 タイトルの謎の1セント硬貨というのは、第二次大戦中に銅不足のために鉄で作られたというスチール・ペニーのことである。2人が乗っていた飛行機の中で、たまたまシャンパンプレゼントがあった。制作年代のいちばん古い1セント硬貨を持っている人に進呈という話になったときに、出現した1ペニー。スチール・ペニーってなんだぁ?正確にはいつ、どのくらいの期間に作られたのか?万起男さんは日本へ帰国してから、アメリカのホームページの質問コーナーにメールを送ってみたら、親切な回答が何通も送られてきた。これが、きっかけで、何でもかんでもメールで問い合わせすることになり、そこから、アメリカという国、人、考え、文化が見えてくるというお話。

 ロケット打ち上げの時は、乗組員の家族はケネディ宇宙センターの特別室で発射を見る。千秋さんが宇宙へ飛び出す日、控え室に、時のアメリカ大統領クリントンがやってきて、万起男さんは悩む。大統領に向かってどういう挨拶をすればいいのだ?「コンニチハ」か?「お目にかかれて光栄です、大統領閣下」か?そこで他の人の様子を見ていたら、Nice to meet you(ハーイ、コンニチハ)と、ごく気取りのないものだった。大統領がそばに来て、向こうから話しかけられ、万起男さんは「大統領の生まれた家を訪ねたことがあり、ご夫妻の始めて住んだ町にも行ったことあります」と話すと、大統領がいっしょに写真をと。後日ホワイトハウスから送られてきたツーショットに笑える。クリントン氏はビシッとダブルのスーツ姿。フットワークの軽い万起男さんはヨレヨレのシャツにくたびれたアウトドア用のベスト。大統領に会うのがわかっていたら、もっと、マシな服を着て行ったのにって。

 あるとき、2人はホウレンソウの産地にあるポパイの像を見るために田舎町のクリスタルシティへ寄り道した。ポパイ像の前の市庁舎に入って他に何か観光するところは?と係りにたずねたら、無愛想な態度をとられて「キャンプ…」キャンプっていうのは、ボーイスカウトなんかでやる森と泉のレクリエーションだろ、もしくは阪神が高知でキャンプをはる。とか???キャンプというのは大戦中にアメリカに居る日系人が集められた強制収容所のことである。

 万起男さんのえらいというか、やるなぁというのは、その後、強制収容所のことについてインターネットで調べて本を読んで、例によってメールで問い合わせたり、そして、このクリスタルシティにも何度も出かけていく。ポパイを見るためではなく、キャンプの跡地がしっかり存在しているかどうかをみるために。負の遺産というのは、触れられたくない、忘れたい、というものだけど、記憶し続けないとダメなのね。

 15個ほどの項目が載っているが、いちばん面白かったのはアメリカの有名な落書き「kilroy was here」(キルロイはやって来たぜ)第二次大戦中にアメリカ軍兵士が世界中に書きまくった。いったい、これの由来はなんなんだ?

 ワクワクするようなプロローグと、侘しくなるようなエピローグ。あの偉大なるアメリカでさえ、地方の田舎町の荒廃と過疎化はとめられない。どんなひなびて寂れた場所であろうとも、そこに笑顔の美しい人がいた限り、その場所は永遠に忘れられない良き地になるんだろう。

「謎の1セント硬貨 真実は細部に宿るin USA   向井万起男   講談社

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