勝手にコーヒーブレイク(44)   《茶の湯とは》 

若い頃、およそ、「道」のつくお稽古事は花嫁修業みたいな封建的なもんはしたくない?!で、いっさい興味がなかったのに、50歳前からお習字を習いったり、茶道のお稽古を始めたり…ああ、私も日本人なんやねぇ

 茶道は地元の難聴者サークルの会でボランティアの方が月に一度、指導してくださっている。習ってはいるものの、面白くてたまらずのめりこむというほどのことはなく、行けば楽しむという程度なので、ちっとも上達せず、未だに風炉(ふろ)と炉のお点前もスムーズにできない。が、茶の湯(数寄)に関する知識は増えたと思う

 そういうわけで、茶の湯のことが小説仕立てになれば、面白からぬわけがなかろう。いつもは図書館でレンタルなのに自分でお金を払って買ったのが、今期の直木賞を取った「利休にたずねよ」である

 歴史小説はあまり好きじゃないけれど、利休の時代は傑物がぞろぞろ揃っている。ふつうの歴史小説は時間の流れにそって、人物が年取っていって、出来事が年表どおりに進んでいくが、この本は最初に利休切腹があり、小説が時を遡っていく構成になっている。利休切腹の何日前の秀吉、何年前の信長という具合である

 秀吉に切腹させられた利休、切腹を命じた秀吉。2人とも年老いて片意地で偏屈でなんだか、魅力のない描写で始まる。で、で、どうなる?という展開の面白さがない。感想文を書かなきゃ、自腹を切った本だから読み通さないともったいない。という気持ちで読み進んだ。418ページのハードカバーだが、改行が多くてスッスと読めるのが幸い。また、この本は読みにくい漢字に全て振り仮名が打ってある。点前(てまえ)、茶頭(さどう)、相伴(しょうばん)お茶用語は難しい。読み方がわかったところで意味がわかるというわけでもないが、何て読むねん?と気がそがれることはない。

 時代を遡っていくに従い、利休はどんどん若くなり、ただただ茶の湯の美の探究に心入れる。同じ夢中になるにしても若いと格好がよく、年取ると、偏執に見えてしまう

「命より茶が大事でござる」美を追求するアーティストというのは頑固である。それくらいじゃないとダメなんやろうけど、身近にはいれば、きっとうっとうしいだろう

 茶の湯とは茶室のしつらい、季節の花生け、お茶道具の取り合わせ、食事の献立、全て含めての茶事である。何事にもこだわらないように見せかけて、自然な気配を漂わせながら、中身は怖ろしいほどの計算と気配り尽くされている。やっぱり、そういうのんは辛気臭いわぁと、面倒くさがりやの私にはたまの一服で充分なのだ

「利休にたずねよ」 山本兼一  PHP研究所

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