勝手にコーヒーブレイク(42)   《シーナさんの旅探し》 

 旅は日常からの遊離である。身体も気持もふあふあと高揚感に漂う。

 今年は6月のACITA東京大会ついでの尾瀬旅行のあと、7月の北海道、8月の平戸、9月も?毎月のように旅に出ては、夫から冷ややかな呆れ眼で見られている。
私の趣味は年とともに移り変ってきたが、旅行だけは十代の頃から不動であり、子どもの頃は、春休みと夏休みの家族旅行がどれだけ楽しみだったことか。
興奮のためか、前夜に蕁麻疹が出たり、腹痛を起こしたりしたことも何度かあったなぁ。今日で旅が終わるというとき、子どもながらも、心が空ろになるような寂寥感を味わったものだ。
といっても私の旅は冒険や探検、歴史探訪やひとり旅などの特別なものでもなんでもなく、ただのふつうの観光旅行である。

 曰く「世界あちこちふらふら人生」旅行家でもある作家の椎名さんは、以前大ファンで、聞えないのに講演会に行ったり、ファンレターを出したりしていた。この前、北海道の阿寒湖のほとりのラーメン屋さんに入ったら、椎名さんのサイン色紙と店での写真が飾ってあって、なんだか懐かしかった。

 「『十五少年漂流記』への旅」はヴェルヌの名作のモデルといわれる島を訪ねる旅のドキュメントである。
年中強風の吹きまくる南米のマゼラン海峡から荒れ狂う海に乗り出していく。(12歳頃、私もジュール・ヴェルヌの本は片っ端から読んだ)
オーロラの下で生活しているアラスカ人はオーロラを見ない。ネパールのシェルパ族は満点の星を見上げない。モンゴルの遊牧民は草原に咲き誇る花に興味がない。
「この花の名前は?」とたずねたら、「まるい花です」で終わりなんだそうだ。
だから、流氷や珊瑚も昔からの地元民にとっては別になんのものでもないのだろう、と椎名さんは書いている。

 そういえば、7月に夫と礼文島ハイキングに行ったとき、自然監視員の年配のおじさんが、「花の名前なんかぜんぜん知らん、昔からこんなもんそこらへんに咲いてたのに、最近、花だ、花だ、と急に観光客が増えた」と言っていた。

 「水の豊富な日本で暮らしていると、水の匂いがわからなくなる」「風景も人々の気配も何も変らない場所」
今、日本でそんな場所があるだろうか。
瞬時の情報通信、物資の普及で日本は均一化されつつある。
それでも、自分の周りの佇まいとは異なる場所がまだまだたくさんあり、外国に行けば日本の姿が見えてくる。
椎名さんの旅人生のもう一冊の原点であるヘディンの「さまよえる湖」も何年か前に読んだ。

 島探しの話以外に、いろいろな辺境のキャンプでの食べ物のこと、東南アジアの蛇肉のことなど旅話満載で、面白く読めてしまった。彼のような探検の旅でなくても、見知らぬ風景と変らぬ空と雲は「次はどこ行こ?」と私を旅に駆り立てるのである。

「『十五少年漂流記』への旅」 椎名 誠  新潮選書

今までの本のメニュー  

 ひらりんBOX 

inserted by FC2 system