勝手にコーヒーブレイク(39)   《こんなこと言うの?裁判官》        2007/11

 2009年から裁判員制度が始まる。
先日、市の催しで「あなたも裁判員」という講演と映画を見た。
啓発のための講演だから、もし裁判員に選ばれたりしても、まあ、そんなに難しく考えることもないか、庶民的常識をもって判断すれば何とかできるだろうと思わせるようには作ってある。
映画は主演が村上弘明、山口果林や小林綾子など豪華キャストであり、国もお金をかけてるね。が、現実にうまく機能するかどうかは前途多難のようだ。

 私たち難聴者は通訳の保障がなければ、もちろん裁判員の職務を全うすることはできないから、それを理由にして、さっさと逃げてしまうというのがいちばん面倒がないかと思ったり。
 「裁判官の爆笑お言葉集」は実際の裁判のときに裁判官が話した言葉を集めてある。爆笑と付いているが、へーっ、こういうことをしゃべるのか?というくらいで特にバカバカしいわけではない。裁判官は法律とその良心に基づいて判定を下すわけで、主文は法に関することしか言わないが、説諭という項目に、その裁判官自身の生の言葉がぽろぽろと出てくる。

生活苦からの犯行だと言い訳する姉歯元一級建築士に対して「この前から聞いていると、あなた切迫感ないんですよ」外車2台も持っているくせに…で裁判管もちょっと頭に来たようだ。

「犯人が人を殺すのは簡単だが、国家が死刑という判決を出すのは大変だということです。皆さん、納得はいかないと思いますが、そういうことです」

 日本は先進国の中で唯一死刑を執行している国である。人を殺した者は死刑にされてもしかたがない、という世論が圧倒的に多い。
実際、こんなヤツ、死刑で当然だろう、という凶悪な犯罪が後をたたない。
死刑は国家による殺人である。国家とはすなわち、一人ひとりの国民、市民が自分のこととして人を殺すことでもある。

 そういう自覚を持って死刑制度を支持しているのかと問われると、身を引き締めて我がこととして死刑の是非を考えられるような気がする。
が、やっぱり、私自身は心情的には死刑制度を否定できない。

 どんなに凶悪な殺人でも量刑というか判定の相場というものがあり、だいたい、人一人殺しただけでは死刑にはならない。また、日本では終身刑というのがないので、無期懲役といっても、結局は出所できるようになっている。刑務所も満員らしいから。

 テレビドラマなどで裁判風景もよく出てくるが、間違った認識も多いようで、コラム欄には裁判のちょっとした豆知識も載っていて勉強になる。
「被告」と「被告人」の違い。(「被告」は民事裁判で、「被告人」は刑事裁判)
「容疑者」という呼び方も「被疑者」が正当な言い方である。

 たまには真面目に考えてみようか?

「裁判官の爆笑お言葉集」  長嶺超輝  幻冬舎 

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