勝手にコーヒーブレイク (35) 《一生大阪弁でいこう》 2006/11 NHKの朝ドラ、10月から田辺聖子さん原案の「芋たこなんきん」が始まった。「なんきん」って南京豆=ピーナツのことなの?っていう人が居るのに、正直びっくりした。なんきんは南瓜、カボチャのことやんか。私も結婚するくらいまではなんきんと言っていた。「なんきんのたいたん」は「カボチャの煮たもの」のことだ。大阪の女が好きなもん、芋と蛸と南瓜の意なのだが、いまどきの娘たちはこんなもん見向きもしない。せいぜいたこ焼きくらいなもんか。 このドラマ、藤山直美とカモカのおっちゃん役の國村隼を始め出演者が関西出身の俳優で占められているので、違和感のない大阪弁が聞けて耳に心地よい。漫才やタレントによるメディアの大阪弁は騒々しくて大仰で耳障りである。こういうしゃべり方を関西以外の人が聞くと、なんや怒鳴られているように感じるらしい。ACITA懇談会で、全国の人たちと会って、ワイワイ元気よくおしゃべりする私も、ひょっとしたら、ひらりんさんって怖い人や、と思われてるかもしれへんね。本当の大阪弁は微妙なイントネーションがあるものの、流れとしては平板で無感情な響きに聞こえる。藤山直美が澄ました顔してさらっとしゃべっているのに、言うてることが可笑しくてその落差にまた味がある。 【大阪弁「ほんまもん」講座】には今、幅を利かせるにせもん大阪弁と昔からのほんまもん大阪弁が載っている。 「もうかりまっか」は元来の大阪弁ではない。大阪商人は損得の会話はしまへん。「ぼちぼちでんな」「ほな、ぼちぼちやりや」とは言う。 「がめつい」も断じて大阪ことばではなく、菊田一夫の造語のようだ。この頃から大阪人がステレオタイプ化されてしまった。そして、80年代の漫才ブームで大阪弁はおもしろく、大阪人はお笑いである、とイメージが定着した。大阪が東京に対して、政治経済すべてに負けた以上、あとは大阪弁の文化しか残らなかったと説く。誇張したほうがウケるというにせもんの大阪弁が幅をきかすようになる。 「どアホ」「どぎつい」「ど派手」など「ど」は良くないことを強調する侮蔑の接頭語であるが、ど真ん中というのはふつうに聞く。そういう意味合いでただの強調語として「どキレイ」や「どうまい」などのCMコピーが作られたことがあるが関西出身者にはかなり違和感のある言い方だった。 大阪市の公用サイトには「こてこて大阪の旅」というのがあるそうだ。この「こてこて」は大阪弁なのか?大阪ことば事典には載っていなくて、京ことば事典には載っているらしい。京都ラーメンは日本一こてこて味なのに、とんかつソースの消費量は兵庫県が全国一なのに、こてこて役は大阪が担わされることになった。お好み焼きもたこ焼きも昆布ダシの薄味が効いているからこその美味しさであり、こてこてソースのせいではないのである。 物ど派手のヒョウ柄の着装度のパーセンテージは東西の違いはないそうだ。私らから見ると、原宿ファッションのほうがよっぽど奇抜に見える。2005年の博報堂の調査によると、東京より大阪のほうがいくぶん低めなのだ。なんか、やたら外部からこてこてにされてんのやねぇ、大阪人は。 「めっちゃ」と「エライ」どちらのことばを多用するかで世代が分かれるようだ。ちなみに私はというと半々ってところかな。ただ「めっちゃ」はもう全国区のことばに昇格している。1996年のテレビ番組の「めちゃ×2イケてるッ!」から急速に広がって、シドニーオリンピックの田島選手が「めっちゃくやしい…」で流行語に。 「わけとくなはれ」「もろてもらう」 「ぼちぼちいこか」「ぼ」と「ち」どちらにアクセントを置くかで意味が違ってくる。「ゆっくり行こうか」と「そろそろ行こうか」になる。論理的に言われると、なるほど、無意識に使い分けているもんだと、改めて納得するのである。第72回夏の高校野球、負けている試合に、天理高校の監督が選手たちに「ぼちぼちいこか」と声をかけて逆転。アクセント次第ではぜんぜん意味がちがうことになる。どっちにしろ「ぼちぼち」はどんなにしんどいときにでも無理せんでもええで、というポジティブシンキングに方向付けてくれる温かい励みとなることばである。 私の好きなことばはお粥(かい)さん。食べものに「お」や「さん」をつけたりする。お茶のことは「ぶぶ」であり、京都ではお茶漬けをぶぶ漬けという。私は子どもの頃お茶のことを「ぶぶ」に「ちゃん」をつけて、ぶーちゃんと呼んでいた。香の物(沢庵)はおこうこであった。私の中からもほんまもんの大阪弁がどんどん消えていく。これも時代の流れかもしれぬ。 「ほな」は誰にでも使うことばではない。通じ合った者への親しみが込められている。 『大阪弁「ほんまもん」講座』 札野和男 新潮新書 |