勝手にコーヒーブレイク (32) 《モダンばあさんになりたい》 2006/02 昔が懐かしいと思う年になってきた。映画「三丁目の夕日」は昭和30年代の生活と雑貨があふれている。しかし、いくらあの頃は良かったと言っても、戻りたいかどうかはまた別問題である。 50歳を過ぎた今、懐かしくはあるが、10代、20代に帰りたいとも思わない。子どもの頃、冬になると手足にしもやけができた。母の手は冷たい水仕事のためにいつも赤紫に変形していた。社会全体がつつましかったのでそういう暮らしが当たり前ではあったが、もはや便利で快適な生活は手放せなくなっている。後戻りはできないのだから、今あるものと人で良い方向を目指すしかないのだと思う。 持丸ハルカという大正生まれの女性の一代記というと、波乱万丈の物語に思えるが、特別に変わった人生でもない。ほのかな恋もしたけれど、親の進めでごくふつうのお見合いをして新婚生活に入るはずが、わずか数日で夫が出征する。復員した夫はちょっとばかり甲斐性なしなので、ハルカは教壇にたってしっかり働くことになる。とりたてて珍しくもない。これは作者の姫野カオルコの近親者の半ノンフィクションらしい。 お話の舞台は滋賀県や大阪なので、昔ながらの関西弁がとてもうれしい。「シービービーがぎょうさんかたまったる場所をみつけたのに…」私が子どもの頃シービーと呼んでいた、カラスノエンドウの豆の鞘をピーピー鳴らす遊びや、お漬物の沢庵のことを「おこうこ」と呼んだり… ただ、せっかくの地元関西のお話なのに、最後まで地名に違和感があってしかたがなかった。寝屋川で洗濯をしたという文章もあるのに(私の生まれ育ちは寝屋川市なのだ)住んでいる所が大阪市宜真区だとか、季土生市、滋賀県鶫市とかへんてこりんな地名が続出するのはいったいどういうわけなんだろう。 世の中は学校の試験のようにきれいにかたづくものではなく、とりあえずで複合的に進んでいくものなのだ 年をとっても、華やいで生き生きとさっぽり、「もう面倒くさい男は嫌いやん」と言ってのけて、子どものような若い男の訪問を受けてケラケラと動じないハルカは理想である。80歳になっても、ヒルトンホテルのティーラウンジひとりコーヒーを飲む姿が板についている。人工内耳のおかげで、ひとり歩きも平気になった。私もそういうモダンなばあさんになりたいものである。 「ハルカ・エイティ」 姫野カオルコ 文芸春秋 |