勝手にコーヒーブレイク(30)   《家族というものを考える》           2005/08

たぶん、たいていの人には家族が居る。そして、胸を張って「家族がいちばん」と威張れる人がどれくらい居るだろう?いつもは空気みたいなもんで、あるときは面倒くさくて、あるときは頼りにもなり…それくらいの思いしかない私なのに、映画でもドラマでも家族モノが大好きなのだ。たいして期待もせずに手に取ったこの本「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」449ページをほぼ1日で読みきった。

筑豊の炭鉱町に育ち18歳で東京に出て、後に東京タワーの見える部屋で母親と暮らして看取った7年間を含む私小説である。料理が上手なオカンとオトンはボクが小学生の頃に別居して以来離婚もせず、子ども心にもこの二人はわからない関係である。

「ほとんどの夫婦がそうやって互いのどこかを見せないまま、知らないまま、ずっと一緒に暮らしているのかもしれない」
 スラスラと読みやすい本は読んでいる途中に立ち止まることもなく、後に何にも残らないものだけど、5ページに1行はジーンとくる言葉が出てくる。笑って泣いてジリジリ
と子ども時代を振り返
りたくなる。

武蔵野美術大学を5年かけて卒業して定職にもつかず、イラストのアルバイトでも食えず、サラ金で借りてはアパートを転々とした生活。
「漠然とした自由ほど不自由なものはない」
自堕落なボクをオカンはいつも温かく見守ってくれている。
オカンが胃ガンになって余命2ヶ月、その病状も克明に綴られている。同じように胃ガンで母を亡くした私にオーバーラップして胸を突いてくる。そのころ私は失聴していたし、母親が病気になっても痛ましさと切なさに半分逃げ腰でろくに看病もできなかった。末期ガンで「生きててもしようがない」と泣き伏す母とともに泣くしかできなかった。それでも、遺された手紙には家族のことや、聞こえない私を気遣う言葉が綴られていた。オカンも手紙を遺している。

作者は私より一回り近く年下であるが、同じ時代の空気を吸っていたことがたまらなく懐かしい。筑豊弁の会話が素朴でオカンとボクの関係が際立ってくる。一生懸命に思い出そうとしてももはや忘れ去られ、過去に埋もれてしまっている小学生時代、’60年代の光景と空気が私のまわりに立ち上ってくる。モノがなくても貧しくはなかったあの頃、自分の子どもの頃がセピア色に浮かんでくる。

幸せな子ども時代を過ごした人も、ちょっと家族に問題ありかなという子どもだった人も、心のどこかで「オカンとオトン引きずっている。そして、自分の中に流れているオカンのことを慈しみを持って思い返してみよう。

「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」   リリー・フランキー  扶桑社

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