勝手にコーヒーブレイク (28) 《女と言葉》 2005/02 FCとは何か?フェミニンコードは女性の人権を損なわないための基準、リトマス試験紙みたいなものである。 「何を女の屁理屈が・・・」と男をくやしがらせるかもしれないけれど、「この理屈を論破できないような男は男じゃねえや!」とここは江戸っ子弁で言いたい。「ちゃんと反論でけへんのは、そんなん男とちやうでー」と大阪弁で言ってたんでは、この痛快、してやったりの気分は表現できない。いちいち理に適うことばかりで、とにかく、胃にストンとおちて胸がスーツとする。 元・現首相、政治家から、林真理子や「男の人と替わってちょうだい!」と言った時実新子までバッサバッさと斬られるのだから面白くないわけがない。 「女は気配りが大切よ」というから、カチンとくるのであって、「人間関係は気配りが大切だ」と言えば、それはそうだと納得する。 「女は控えめなほうが好かれるのよ」今どきこんなことをいう親はいないとは思うが、中小企業の社長かバーのマダムが言いそうな台詞ではある。 「らしさ」のおしつけもうんざりする物言いである。「〜らしい」というのは個人的な感想や意見で使うときはまだしも、どっちにしろ、ひっかかる言い方である。男女のらしさにかかわらず、こどもらしく、老人らしく、何につけても、従来の価値観でひとくくりにしたい意識が見え隠れして、押しつけがましさを感じてうっとうしい。 かくいう私も「洗濯物を干しといて」と娘には言いつけることはできても、「洗濯干しといて下さい」と息子にはちょっと下手にお願いしてしまうのが情けなくはある。 「女性のほうがはるかに元気がいい」と言われても、どことなく素直に喜べないのは、「女はしとやかでおとなしくあったはず」という言外のニュアンスが感じられるからなのだ。こういうビミョーな言い様にも★マークの数で、FCの難易度を比較している。この言動のどこがなぜいけないのか、読みながら自分で考えるのも面白い。★★★となると、知らず知らずのうちに自分でも言ってしまいそうだし、どこがおかしいのかわかりくい。自分自身の考え方や価値観を省みる指標にもなる。 ここまで細かくケチをつけられたら、何も言えなくなると撫然とする向きもあるかもしれないが、あくまで、対外的なFCであり、個人の意識や内輪話にまでとやかく規制するものではない。 「大脳を通さず、反射神経だけでしやべった結果」周りの顰蹙をかい、嘲笑や苦笑させたりして、よけいなひと言は男を下げる。ゆえに、男性も読んで損はない。FCをクリアしていれば、確実に男を上げられるのだ。 古き良き、手づくりの時代にはもう戻れないのである。昔はよかった、○○のない時代はよかったと、今の社会を嘆いてみたところで問題は何も解決しない。今有るモノをどう使っているか、今の意識をどう変えていくか、ということが肝心なのだ。服は手づくりから買うものへ、だったら食べる物だって出来合いを買っても別にいいではないかという。母親がまともな食事を作らなかったから食文化が失われ、子 一ページに一箇所は引用したい文句がぞろぞろ載っている。とにかく読んでください。 『物は言いよう』 斎藤美奈子 平凡社 |