勝手にコーヒーブレイク (27) 《障害者であること》
2004/11 「他人に迷惑をかけない」というのはどういうことだろう。 昔から「人さまに迷惑をかけずに生きる」ことがこの国の最大の美徳とされてはきたが、これが足かせにもなっているのではないか。世話をかけることは恥ずべきことだという結果、やっかいをかけずには生きられない障害者を、疎外することにもなっている。 障害者だって人間だ。腹の立つことや不機嫌なときもあれば、ずるい事もヤバイことも健常者と同じ割合で起って当然なのだ。もっともっと、自己主張して威張ってもかまわないのだ。 『こんな夜更けにバナナかよ』は筋ジストロフィーの鹿野靖明と介助ボランティをめぐるノンフィクションである。鹿野は小学生のときに筋ジスと宣言され、中学時代は規則づくめの暗ーい療養所に入れられ、その後、施設を脱出して自立生活へと挑戦する。 「すべてのことに、人の手を借りなければ生きていけない。できないことはしょうがない。できる人にやってもらうしかない」 生きるためには食事、排泄から、病状が進んで人工呼吸器の取り扱いまで、二十四時間常に介助が必要な鹿野が、タバコを吸いたい、エロビデオを見たい、と次から次へと言いたい放題、好き放題、したい放題(介助の手がなければ、したい放題もできないが)彼を介助するボランティアはいったい、どこまで、その要望をきけばいいのか。 鹿野はしょっちゅう、カンシャクを起こすし、理不尽なことをわめくから、 「帰れ!」「やめてやる!」と、腹を立てても、「しょうがないな、やっぱり、ほっとけないや」とボランティアは戻ってくるんだそう。健常者でもこういう入っている。遊び人で賭け事はするし、ワガママで自分勝手で、それでも憎めない人。ここでは寅さんのような人だと形容されている。 単なるドキュメンタリーではなくて、障害者やボランティアのあり方、さまざまな問題、考え方、障害者自立運動の歴史まで書いてあるが、決して堅苦しくなく、重苦しくもなく、ぐいぐい引き込まれる読み物になっている。 この本を読んだとき、私の仕事場のHさんの姿と二重写しになった。彼は重度の脳性マヒではあるが、介助を受けることは当然とばかりの態度で、不自由な片手だけで電動車イスを繰って動き回り、楽しく時には押し付けがましく、のべつ幕なしにおしゃべりをしている。彼もまた、「がんぱっている人に『がんぱろう』はツライ」と言う。 聞こえないという障害を持った私はそのことで何を得ることができたか?手話サークルを通じての友人や活動など、聞こえなければ関心を持つこともなかった事柄にかわりを持つことができた。 本のタイトルは、深夜に、腹が減ったからバナナを食べると言い、もう一本食べたいとワガママを言う鹿野に対して「こんな夜中にバナナかよ!」とプチ切れそうになった学生ボランティアのつぶやきから生まれた。 二年余りの取材も終わる頃、鹿野は四十二才で亡くなった。半年後に、本は出版され、火宅壮一ノンフィクション賞・講談社ノンフィクション賞を受賞。 『こんな夜更けにバナナかよ』 渡辺一史 北海道新聞社 |