《つれづれにパソコン》  勝手にコーヒーブレイク  (23)    2003.11

ヒマなときも雑事に追われているときも、毎晩、パソコンに向かう。
ホームページ日記に、心に残りたることなど打ち込んでいれば、とるに足らないことでもとりとめのないことでも、読み返してみれば面白いもんである。
ドジしたことも、得したことも、みーんな日記のネタになると思えば、日々の暮らしも生き生きとする。なんにもない平穏すぎる日常は退屈と背中あわせで、キレイだけれど真っ白なページが続くだけの人生なのね、たぶん。

つれづれなるままに

日ぐらしすずりにむかひて

心にうつりゆくよしなしごとを

そこはかとなく書きつくれば

あやしうこそものぐるほしけれ

徒然草なんて、世間を捨てた坊さんが、世のウンチクをしたり顔で説いた、説教臭くて、鼻持ちならぬ読み物と思っていたが、なかなかどうして、時代を超えて通じる、人の生きていく営みに関する知恵がいっぱいつまっている。
こういうのを高校時代に古典で習ったところで、「しんきくさー」と感じるだけだ。
辛らつで、皮肉なところもニヤニヤして笑える。
自分がこの歳になって始めてわかるというか、共感できることも多くて、これは究極の大人の読み物である。

兼好は女性にも手厳しい。

「女はわがままで欲がふかく、ものごとのすじ道がわからない。気ままで、口ばっかり達者で、きかれたくないことはいわず、ききもしないのにしゃべりだす」
(第107段)
とボロンチョンで、今ならセクハラもんの発言である。かというと、かつての恋人のことを懐かしがったり、
「気にもしない身近な人が急に改まった格好すると、やっぱりいいもんだし、ふだんあまり親しくない女性がうちとけて話しかけてくれるとほれぼれする」(第37段)
なぞと、なんだかんだと気にしているのもおかしい。こういうところが等身大の人間という感じだ。これが、700年も前の時代に書かれたものとは思えない。

人間は、いつ死ぬかわからないところがいいのだ。40歳までに死んでしまうことが理想である。(第7段)
成人式を迎えても大人の自覚がない者が多いし、寿命がうんと延びた現在では、40歳で死んでしまうのは、これはちょっと承服しがたい説ではある。80歳まで生きたら充分だと思っている私だって、その歳になれば、まだまだ90歳まで生きるぞと、意気軒昂、周囲に疎んじられているかもしれない。

しかし、「長生きをすれば、名誉とお金がほしくなってみっともなくなる」と兼好もいっているし、できるだけ欲は引っこめ、ニコニコと過ごそう。たとえ、ぼけてもヘラヘラと笑いぼけのバアチャンになりたいけれども、寿命こそは、神のみぞ知る。

よい友とは何ぞや。物をくれる人、医者、知恵のある人(第117段)って、現実的なことはなはだしい。荻野文子はジョークで「資産家、医者、弁護士がいればたいていのトラブルは解決する」という。こう言って、アハハと笑い飛ばしてくれる友だちと結果的には友情を築いているそうな。友にしてはいけないタイプ七種類もなるほどとうなづくものばかり。

人間の根源的な欲についてや、人とのつき合い方、習い事に対する心構え、はては、家のしつらい、現代でいうインテリアについてまで言及している。
子どものことに関しても、子どもはなくてよい(第6段)という一方で、子をもってはじめて親の気持ちがわかる(第142段)とも、いっている。ええかげんといえば、そうだけど、物事にはすべて表と裏があるし、こういうふうにバランスのよい考え方をしているほうが、ま、現在を生き抜き易くはある。大風が吹いても、土砂降りの目にあっても、竹のごとくしなやかに生きていくのがいいのかもしれない。

文章でも性格でも容貌でも物事について、いちばん大事なのは品性であるという。
感性・知性・品性を三大性というが、好奇心旺盛であれば、感性は磨かれてくるし、勉強をすれば、ある程度知性らしきものも得ることができるだろう。しかし、品性というものは・・・と持たぬ私は悩むのである。

科学が発達して、便利に快適に暮らせるようになったとしても、人間社会のつきあい方は昔とほとんど変わってないということでしょう。
今どきのわかものは…なんていう短絡的視野ではこれからの21世紀は生きていけない。何百年のサイクルからみれば、人生は短いようでいても、一人の人間にとっては果てしなく長くもある。運不運はつきものだけど、心のもちようというものは絶対にある。

ありゃありゃ、何か、一人で納得して、一人でブツブツ。すごく抹香臭い結論になってしまった。本を読んだ感想文を書くのに、こんな説教してるようでは、私も世間並みのおせっかいなオバサンなんだろうね。徒然草なぞ知らんわーと明るく生きるのも、それもまた、いいと思う。

口語訳だけの「徒然草・方丈記」のほうが自分なりの解釈ができて面白いが、徒然草をもっと、詳しく読み込んで、人生論やってみたい人には「ヘタな人生論より徒然草」がおすすめ。
今、時代を共にする人がこういう内容のことを書いても、「いちいちエラそうに、あんたにそんなこと言われんでもわかってるわ!」と反発するだけだろうが、700年も前に書いた人がいるということに、びっくりして、そして、深く感動するわけです。

   少年少女古典文学館「徒然草・方丈記」    嵐山光三郎      講談社
   「ヘタな人生論より徒然草」           荻野文子  河出書房新社

 次へ    本BOXメニュー

inserted by FC2 system