《それぞれの旅》     勝手にコーヒーブレイク  (21)        2003.05

家を出て行く。そして、再び、家に戻ってくる。それが旅するということだ。出て行きっぱなしは、家出であり放浪である。

だから、旅は日常生活、特に主婦にとっては家事や雑事から開放され、自分で献立を考える必要もなく、上げ膳据え膳、これだけでも極楽である。外に出てまでも野菜を刻んだり、食器を洗ったりのアウトドア系は私には真っ平だ。

幼い頃は両親に連れられ、長じては友だちや家族と、高校3年間以外は毎年どこかへ旅した。「ここではないどこかに」自分の知らない風景を見るのはいつだってワクワクした。最終日に家に向かうときは花火が終わったあとのように気持が沈んだ。

私の旅の形ははっきりいって、かなり俗っぽい。一通りまんべんなく、浅く広く観光地を回るという典型的日本人型旅行だから、リゾート地で長期滞在を楽しむなんてことはとてもできない。要するに観光フリークに近い。
名所旧跡は絶対欠かさない。だって自分の目で見てみないことには、良い所か、たいしたことないかは判断できない。つまらなければ以後「行ってみたい」という候補地から外すことができるのだから、たとえしょうもない所であってもさほど後悔はしない。ガイドブックや写真のとおりの所もあれば、それ以上のスケールに圧倒されたり、それ以下でだまされたと感じる所もある。
乗り物の窓から過ぎていく風景を飽きずに見ていると、「生きることに必要なものは、ほんのわずかなのだということがわかってくる」のだ。この目で見て、周りの空気に触れて、空の色や温度を感じて、旅の記憶が強くあるいは密やかに積もっていく

かつて、沢木耕太郎の本『深夜特急』を持って世界独り旅に出て行くのが流行りのスタイルだった頃があった。その沢木耕太郎の久しぶりの紀行文である。
何カ国かの話が載っているが、この本のタイトルを取っているベトナムが良い。日本の本州の長さほどのベトナムを南北に国道一号線が貫いている。サイゴン、今のホーチミンからハノイまで1800キロを縦断する。独りでバックパックを背負って、バスに乗り継いで、高級、ときには安宿に泊まりながら、国道一号線を北上する。レンタサイクルで夜の真っ暗な道を迷ったり、市場でビーチサンダルの値段の駆け引きをしたり。今、ベトナムは人気の観光地であり、食事もおいしそうだ。彼もフォーというベトナムうどんを好んで食べている。

旅慣れた人の旅行記というのはだいたいが、ツアー旅行を小ばかにしているものだが、沢木耕太郎の視線は温かい。旅の形は人それぞれであり、旅の豊かさとは一人旅、ツアー旅行に関係ないと。

一号線はだれにでもある。私にもあれば、そう、あなたにもある
そのつぶやきに心惹かれて私もまた、旅の空を想う。
さあ、次はどこに行ってみようか…

   「一号線を北上せよ」        沢木耕太郎    講談社

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