《日本語に注目》   勝手にコーヒーブレイク  (18)        2002.08

本を全く読まなくなった。パソコンのせいである。
今はこれを書くためにだけ読んでいる。ああ情けない。
いつもは片手、片目で読める軽い本ばかり選んでいるが、今回は硬派本。
両目をしっかりあけてメモをとりながら読みましたね。
どうせ、すぐに忘れてしまうのだけれど。

日本語がちょっとしたブームである。
『声に出して読みたい日本語』以降、日本語に関する本がたくさん出ている。
「漢字と日本人」は日本語における漢字の由来や成り立ち、英語や中国語との比較などを交えて、日本語という素姓をわかりやすく書いた本である。

日本語は同音異語が多いから、人工内耳で聞く場合でもいっそう勘を働かせる必要があるのは皆さんご承知の通り。
「カテーノモンダイ」と聞こえても、そのカテーは家庭か過程か仮定かを瞬時に判断をしなくちゃならない。同音異語は驚くなかれ、何千もあるそうな。

私は英語も中国語もまるでダメだけれど関心はある。
中国語を話しているのを聞いているとかなりやかましい騒々しいことばらしいが、漢文を中国語で聞くと最語尾に韻が重なり朗々とした雄大な音調に聞こえるとか。
さすが中国三千年の歴史はちがう。カタカナではただの「パイ」と表す読み方も中国語では何通りもの発音・声調がある。
失聴しなければ中国語を習いたかったなと思う。

日本語は地球上どこにも親戚のいない孤立無援のことばである。
昔、日本語には話しことばはあったが、文字をもっていなかったので漢字を拝借したが、日本語と中国語は言語学的には全く別のことばである。
「山登り」は本来の日本語で、「登山」は中国からきた。
「山登り」は目的語「山」が動詞の「登る」よりも前にあり、登山は動詞が目的語の前にくる。中国語の語順は英語と同じく、動詞、目的語と並ぶ。 

日本語はこと発音に関してはとても簡単な言語なんだそう。
逆にいえば、発音が単純だから、日本人は英語や中国語の発音が下手なんである。
赤ん坊がお母さんの声を聞いてことばを覚えるように、発音とは耳で聞いてまねをして習得していく。日本語には最初っから の区別もないくらいだから、発音が上手くできなくても当たり前である。

「11月3日は祝日でちょうど日曜日です」
「日」が4回出てくるが、読み方が全てちがう。こんなに読み方がいろいろあるのは漢字が入ってきた時代が違うから。呉音と漢音である。

英語でもそうだね。コップとカップは同じというのはわかるけど、トラック=トロッコ、ストライク=ストライキも同じなんだって。知らんかった。ちがう英語だと思っていた。

漢字の音読みが数種に日本語本来の訓読みもあわせて、「生」という漢字はいったい何とおりの読み方があるのだろうか。
「とる」という漢字も「取る」「撮る」「採る」「捕る」といろいろあるが、そんなもん、本来の日本語が一つなのだからかなで書けばよいのだ、と明快である。
漢字の多い文章を書くのは無知な、無教養な人である。

とこうふうにばっさり。
ワープロ、パソコンが普及して、自分では書けない漢字も当たり前のように漢字で書くようになり私も反省。書けない漢字は使うな、です。
でも、これって小学生並の書き方しかできなくなるよな、たぶん。
論理的な文章はやはり漢字の熟語を使わないことには表現不可能である。 

文章にとって何より大事なのは気品、格調である。
そういう文章を書いてみたいが、私がマネをするとただのもったいぶった気取ったものになるだけである。
日本語は漢字をとり入れて便利になったと思っていたが、寸法にあわない漢字服を着せられて、現在も国語審議会でもめているとおりである。 
今回は引用ばかりのつまらないものになってしまったが、こぼれ話を2〜3して、おしまいにします。

文字を決めるJIS規格というものがあるが、文化資産としての言語をなぜ工業規格   でとりきめるのか。 
簿記は bookkeeping のすぐれた翻訳語である。発音も似せている。
ことばの比較

 英 語

日本語

中国語

Train

汽車

火車

Automobile

自動車

汽車

「止める」と書くのはやめよう。
  「とめる」と読むのか「やめる」と読むのかまぎらわしいし、かなで書いても意味は
  すぐわかる。こういう字はなるべくかなで書こう。

「漢字と日本人」      高島俊夫  文春新書

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