《家にこだわると…》 勝手にコーヒーブレイク  (13)  2001.05

家にも流行がある。欧米では百年以上の住宅も珍しくないが、日本では30年を超えると家の価値がなくなるし、家の格好も時代に追随する。

6年前に私宅を建て替えたときはモノトーン系の家が流行っていて、外壁はグレーっぽい色、窓枠は黒のアルミサッシ、屋根は黒。屋内は明るく、白の内装にフローリングとなっている。

最近は、ナチュラル志向で木質ウッド系、茶色でレンガっぽい感じの家が多い。都会では誰も純日本式の家なぞ建てない。

そういう風潮に背を向けて、エッセイストの麻生圭子はヒマと大金と体力をつぎ込んで質素だけど、贅沢な生活を求めて、京の町屋暮らしを始めるのである。

まず、不動産屋、知人、コネを使って、希望の町屋の借家探しに奔走する。京都の町はよそもんには冷たいから、なかなかこれといった物件に当たらない。大概は、家の中を便利に改造し尽くされていて、昔の趣は全くない。

ようやく、探しあてて、復元に取り掛かる。天井のベニヤをはずし、壁の木目プリント合板をはがし、前住者の老女の不用品を片付けて、「家一軒分のゴミを出すというのは凄まじい」と3.5トントラック4回分のゴミを始末するのである。檜の床材200枚も注文して、左官屋さんまで頼んでいたのに、大家さんの都合でこの家は結局借りられなくなり、また振り出しに戻ってしまう。

それでも諦めずに町屋を捜し歩く、この思い入れはなんだろう。ご亭主が建築家だから自分の希望の家はいくらでも建てられるのに、ひたすら京の町屋にこだわる。

不便でも落ち着いた日本の家の古い暮らしや、昔の手作りの生活用品や家具への愛着。同じことを今やろうとすれば莫大な費用がかかる。

やっと、次の候補を見つけて、再度修復に取り掛かる。床板200枚に自分たちで生漆を5回塗り重ねたり、蛍光灯はすべて時代物の電球に変えたり…

家を1軒借りるのに外車1台分位のお金をつぎ込むのだ。

雑誌の取材が迫ってきて、住めるまで徹夜で手を入れていくこの根性。倒れそうになるのを堪えて、整った座敷で悠然と微笑む着物姿の麻生圭子。

グラビアで見るこの町屋は本当に優雅でしっとりと美しい。
漆塗りの床板、電球の笠、石製(ジントギ)の流し、黒光りした土間、和のしつらえ。

私の生家は白壁の農家だった。小学生のときまで家にはかまども五右衛門風呂もあった。でもなあ、二度と住みたいとは思わない。寒いし暗いし不便だよ。

今の白いビニール製の壁紙、合板の床の安っぽい家で満足である。

『東京育ちの京町屋暮らし』   麻生圭子 文芸春秋
『ミセス』2000年1月号

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