《犬の居る暮らし》 勝手にコーヒーブレイク (12)  2001.02

また、新しい年が始まった。21世紀はミレニアムほどには盛り上がらなかったけれど、ひとつ年を重ねた。年々、年末年始の雑事がおっくうになって困る。年末となれば世間並みに掃除もし、年越しそばを作り、元日は形だけのおせちを4品だけ並べ、お雑煮をいただくが、わずらわしくって仕方がない。

子どもの頃、なぜ、あんなにうきうきと心踊ったのだろう。父はわらでこしらえた箒で天井のすす払いをし、蒸し米の湯気の中、みんなで石臼と杵でお餅をつく。母と二人で市場へ買出しに行き、大晦日の夕方、大急ぎで花を生ける母のそばで、重箱におせちを詰めた。お正月よりは年末のあのあわただしさにわくわくした。締めくくりは紅白歌合戦。

なのに、昨年は、歌もほとんど知らないし、衣装を見るのも興味がなくなり、紅白嫌いの主人と二人でレンタルビデオを見ていた。        

というわけで、ちっとも心楽しまない年越えであるが、その中で、たったひとつ気に入っているのは、歩いて40分の石清水八幡宮に犬といっしょに初詣に行くことだ。犬を飼い始めてから歩いて行くようになったが、子どもも成長し、今は主人と二人。お札もおみくじも何も買わないが、干支の絵の描いた小さな土鈴を買う。干支の絵は毎年、リアルな写実調のときやら、漫画チックなイラストやらと統一性もなく、250円では文句も言えないけどいつも笑ってしまう。今年の巳で8個たまったから、犬ももうすぐ9歳になり、あと何年いっしょに初詣に行けるかなと思う。犬がいなくなって主人と二人だけというのもなあ、間が持たないっていうか…

私は犬は好きではない。娘と主人の希望で渋々飼うことになったけれど、今だって家族同然というほどもない。うるさく文句を言わない分家族よりはましかも。だから、よその犬なんて全くかわいいと思わない。ましてや散歩中によその犬に3回噛みつかれた(うち1回は私が犠牲に)とあればなおさら、そばにも寄りたくない。

犬の大好きな知人は迷い犬が来れば飼ってやり、川で溺れている犬を見たら119番して保護し、迷い犬の張り紙を方々に掲示して歩くという愛護精神に富む。

でも、きちんと番犬の役もしてくれるし、私も8年も犬と暮らしておれば、少しは犬のことに目がいくようになったかもしれない。

犬が好きな人もそうでない人も、犬を飼っている人も、飼いたいなと思っている人にも楽しい本や絵本です。

どうせなら、りっぱな犬になりましょう。

おて…ふつう、犬の手のことをまえあしというが、りっぱな犬には「おて」という。
きくばり…よばれたらかおをむけよう。
犬とともに走ったり、犬とともにたたかったり、犬とともにやすらいだりするのが正しい。自分の都合のいいようにしつけたりするのは間違いである。

『りっぱな犬になる方法』     きたやまようこ 理論社
(絵が面白い。ネコの正しい飼い方もあり) 

『正しい暮らし方読本』      五味太郎 福音館 
その他、五味太郎の愉快な本は、
『ことわざ絵本』          五味太郎 岩崎書店

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