《将棋の人》 勝手にコーヒーブレイク (10) 2000.08

最近、小説はほとんど読まなくなった。例によって、記憶力の減退にともない、がんばって読んでも内容をすぐ忘れてしまうし、面の皮が厚くなると、作り物の話に感動できなくなったし、主人公に自らを重ね合わせるなんてそんな純情な心持ちも干からびた。
ただ、海外のミステリーだけは時々読んでいる。登場人物の名前もなかなか覚えられないけれど、外国の街の知らない通りや家々の雰囲気に旅したような気になれるから。

そういうわけで、ノンフィクションやらエッセイばかりになる。自分とは縁のない世界のことを知るのは興味津々、知識欲を満足させてくれる。

私は将棋のことなんかほとんど分からない。角は縦横に、飛車は斜めに、桂馬は前、前、横に動くと(合ってる?まちごてたら、ゴメン)羽生善治や谷川浩司までは知っていても、村山聖の名前は知らなかった。

聖は5歳の時に難病のネフローゼに罹り、小学校時代はほとんど病院暮らしで、それで将棋に親しむ。中学1年で大阪の森信雄六段に弟子入り、以来親子同然の師弟関係を結ぶことになる。

羽生善治のようなスマートな棋士しか知らない者にとっては驚くような聖の生活と将棋である。今でもこんな人がいるんだ。公文式の羽生善治を見てたら今どきの将棋する若い人たちはみなパソコンで棋譜とか勉強していると思うもんね。

森師匠が聖に言う。
「飯、ちゃんと食うとるか?風呂入らなあかんで。爪と髪切りや、歯も時々磨き」と。

聖のアパートの部屋は足の踏み場もなく、本やコミック、ゴミに埋もれて寝起きしていた。生きているものはすべて愛しいとばかりに髪を切るのもいやがる聖。こぎれいで、小金を持ち、小生意気な連中が多い今の世の中で信じられないような純情さ。将棋が強くなってどんどん昇級していっても偉ぶらず、最期までちっぽけなこのアパートから動かなかった聖。いつも病魔と背中合わせで病院から対局場に向かい、すさまじい執念で将棋を指す。

この本には数々の名勝負の棋譜が載っているが、私にはまったくのチンプンカンプンである。将棋のルールを知っていればもっとおもしろいだろうが、ぜんぜんわからなくても村山聖という人間性が十分におもしろい。

そして、ついに名人になることなく、愛され、惜しまれ29歳で亡くなる。

やりたいことは決して後回しにしてはいけない。夢があるならその夢に向かっていくこと。面の皮の厚くなった私にもそのことは心に染みる。

死を間近にした最後の20ページは涙なくしては読めないが、ユーモアも随所にある感動の書である。

『聖(さとし)の青春』  大崎善生  講談社

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