《恐怖のクモ膜下出血・ベランダの植物》

勝手にコーヒーブレイク (7) 1999.11

人生もUターンして何キロか過ぎてしまうと、自分はいったいどんな風に死ぬのかとつらつら思う。事故か自殺かで死なない限りはたぶん、癌か、心臓か、脳か。(一応、平均寿命まで生きるつもりなので)

血圧は低いほうだし、心臓はいたって丈夫であるので、心臓発作などで死ぬことは百パーセントありえないだろう。癌は一応可能な検診は受けているし、これで癌になったら運命と思ってあきらめよう。身内が癌で亡くなったので癌で死ぬのだけはイヤだから、癌は除外すると。

残るは脳疾患である。突然、脳の血管がつまって、あるいは切れてぽっくり逝ってしまうのも悪くないかもしれない。でも、ぽっくり逝き損ねて後遺症で寝たきりになってしまうのも困るしなあ。ふだん、健康な者ほど脳がやられるような気がするので、私の場合はやはり脳疾患が第一候補である。

最近、増えてきているクモ膜下出血は20代の若い人でもかかるらしい。突然猛烈な頭痛がして救急車で運ばれても、3分の1は死亡、3分の1は後遺症が残り、残り3分の1が元通り回復するという。症状がじわじわと出て発見が遅れる場合もある。何となく頭がおかしい。風邪かな?というような軽い症状のときもある。そして、まったく自覚症状がなくて、たまたま偶然に発見されるときがあるのだ。脳の血管に小さなこぶができていて、ほっとけば確実に破裂してクモ膜下出血になる。ただ、いつ破裂するかが予測できない。それは明日破裂するか、10年後になるかは神のみぞ知る。

「やっと名医をつかまえた」の下田治美は別の検査で脳のMRTを受けたときに、血管のこぶが見つかり、破裂を防ぐためにクリッピングという手術をすることになる。副題の「脳外科手術までの77日」のとおり、まともな手術を受けるまでの悪戦苦闘記である。

まず、患者心得がある。患者の立場は弱い。点滴の針を入れるとき、何回も失敗しても「血管が細いな」とか患者側が悪いように言われる。自分の技術が未熟であるのに、決して謝らない。概して、医師や新米の看護婦は下手で、ベテラン看護婦は一発で入れる。画像写真や検査結果表は患者のものである。別の医者に見せるためにもらうのに蹟躇することはない。

第一発見医師、病院に盲従しない。発見した医師、病院が必ずしも外科手術の腕が良いとは限らない。また、大病院、大学病院が良いとは限らない。手術のときは外科医ばかりに関心が向くが麻酔医も同じくらいに重要である。麻酔医の充実している病院を選ぶべし。

手術を受けるまでいろいろ不満がたまり、決定的な不信にいたれば、潔く縁を切ること。ヤバイと感じたらニゲル。下田治美は手術前日に病院を脱出した。

そして、名医を探すために、友人、知人を総動員してリストを作り、何人かにしぼって片っ端から自分で電話をかけまくる。どんな名医であれ、こちらのせっばつまった症状を誠意をこめて説明すれば紹介状がなくても診てもらえる。紹介状があるがためにかえって転院できないこともある。結果、無事に手術することができ、クモ膜下出血の恐怖から逃れたのである。

私たちは死ぬまでMRI検査は受けられない。だから、やっぱり脳疾患はやばいかなとも思う。CT検査ではそんな小さな血管のこぶまでは発見できないだろう。ただ、他の病気になったときでも、これも運命だとあきらめるのではなくて、少なくとも可能なかぎり最善の方法を見つけるべき努力はしたほうがよい。特にセカンドオピニオン(第二医師)は必要である。病院や医師にこれほどちがいがあるのならば、下手な医師にあたって寿命をちぢめることはない。

このクリッピング手術に関しては、後日、新聞に載っていた。高齢の方がこの手術後、クリッピングした部位から出血して意識不明の状態になった。もし手術しなければ、母は今も健康でいられたかもしれない。将来、クモ膜下出血で倒れたらそれが母の寿命で、高齢の母にとってはそのほうが幸せであったかも・・・と。

どっちにしても病気になれば結構面倒くさいことが多いし、努力の嫌いな私はうっかり病気にもなれないや、とためいきをつくのである。でもやっぱり私は脳疾患でやられるような気がする。

ま、とにかく、病気にならないようになるべくストレスをためず、楽しく生きることにしよう。

いちばん簡単な方法は趣味を持つことである。趣味なら何でもいいかというと、なるべく心が癒されるものがいい。競馬やパチンコでは癒されるとは言いがたい。

植物を育てて観賞するのはどうだろう。同じ育てるにしても、こどものように生意気に反抗することもない。せいぜい、水やりを忘れ、哀れにも枯れかけて恨めしげに葉をふるわせるくらいである。

庭がなくても大丈夫。いとうせいこうはベランダーと称して「ボタニカルライフ」(植物生活)を始める。これはベランダーの手記である。植物といえば生きている(当たり前だが)すくすく大きくもなるが、何の予兆も前触れもなく枯れたりする。で、いとうせいこうは嘆く。こないだまで元気だったじゃないか。茎や根が跡形もなく消滅して、土に帰るとは言うが全くお早いお帰りだ。

シャコバサボテンの短日処理というのがある。短期間で処分してしまうという意味ではない、もちろん。ポインセチヤの栽培などにも用いられるが、9月頃になったら、日射量を人工的に減らして普通より早く開花させることである。実際にどうするかといえば、毎日夕方前に鉢に段ボール箱をかぶせ、朝遅くに箱を取る。これを1ケ月毎日毎日泥酔した日も彼はひたすら段ボール上げ下げ機械と化して続けた。この短日処理というのは私もやりかけたことがあるが、とにかく面倒くさい。すぐにかぶせるのやはずすのを忘れて、あえなく挫折。800円で花鉢を買うほうが結局お得。まあ、ほっといても世間が忘れた3月頃には咲くには咲くんだけど。花のない初冬に華やかに咲いてこそシャコバサボテンだろうが‥え?

ハーブは、そのイメージから素敵なガーデンの象徴みたいだが、はっきり言って雑草のごとく強靭でしぶとい。実際、カモミールは抜いても抜いてもこぼれ種で生えてくるし、レモンパームも他の花を駆逐してのさばるので私は一度で懲りた。他にも楽しい話がいっばい載っている。

このエッセイは、もともとホームぺージとして書かれた物である。現在も更新中ということで、私は初めてインターネットをやってみた。夫に下げたくもない頭を下げてパソコンのいじり方を習った。とてもあのぶっといマニュアルを読む気力はないので。案の定、ケンカになりかけて、危うくリタイアしそうになったが、ねばって何とかアクセスに成功。私の初めてのインターネット体験である。パチパチ。

『やっと名医をつかまえた』  下田治美  新潮社
『ボタ二カルライフ』  いとうせいこう  紀伊国屋書店
 

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