《バイオリニスト五嶋みどり》 勝手にコーヒーブレイク (5) 1999.05

ハイ、またまた前号の訂正です。「老人力」の読み方は、ろうじんりきではなくて、ろうじんりょくが正しいのです。でもなあ、たしかどっかにりきと書いてあったのに。まともに聞こえる耳を持っていたら、こんなことも労せず自然に憶えるものなのに…というわけで、人工内耳の人の悲哀はまだまだ続くのであります。

ことばさえも完全には聞き取れない現状で、ましてや音楽はどっちかというとごめんこうむりたい私が、今回は驚くなかれ音楽本の話です。

音楽家といえば、常人よりは音感がすぐれているのは当たり前だが、音感のうちでも[絶対音感]を持つ人と持っていない人があるらしい。いわく、モーツァルトは持っていたが、ベートーヴェンは持っていなかったなど…

ある何かの音を聞けば、ピアノのどの鍵盤の音かを言いあてることができるということだ、救急車のピーポー音でも、CMソングでも瞬時に頭の中にその楽譜を書くことができる。

すべての楽器の基本となるA音(ピアノの中央のラ音)は440ヘルツと決められているが、ホールによっては、442ヘルツなどのところがあって、かつてバイオリニストの五嶋みどりは、たった1ヘルツのちがいが気持ち悪くてこれに慣れるまで多大な練習を強いられた。1ヘルツ!

この絶対音感は特別に選ばれた人だけが先天的に持っているものか、訓練によって培われるものなのか、英才教育よろしく、ヤマハ音楽教室でレッスンすれば身につくものなのか。絶対音感がなくても音楽家にはなれるのか。専門的なむつかしい箇所は読みとばすとして、そういう話があれこれ書いてある。音楽にはまるで疎い私には音楽家という人たちはまるで異人種の感がある。まだしも画家のほうがわかりやすいというものだ。

私は特に音感が鈍いのか、歌を耳で聞いてもそらで憶えられなくて(以前聞こえていたときのことです、もちろん)手とり、足とり、楽譜をみながら繰り返して教えてもらわないとちゃんと歌えなかった。これは難聴でもあった私の聞く力、聞き分ける能力が劣っていたせいかもしれない。そのせいでフォークソングやグループサウンズ全盛のわが青春はけっこう涙ぐましいとこがあったわけである。

にもかかわらず、小学生のとき、数年ピアノを習ったおかげで、簡単な楽譜は読めるのだ。それで聞こえなくなってからも、たとえ全く知らない歌でも大まかなメロディーでなんとか歌えた。これはこどもが小さいときに一緒に歌ってやるのに役に立った。「さくら咲いたら、1年生…」や、「おどるボンボンポコリン」などほんの数曲だけれど。ま、なんでもやっておいて損はないってことだ。

いまは歌を歌う必要もないし、興味もないので、頭の中で歌を立ち上げるというしんどいことはもうしない。それに今時の歌は、たとえ聞こえていたとしても、とてもじゃないけどついていけそうにない。

だから頭の中にピアノの鍵盤が納まっている音楽家であれば、たとえ失聴してからもなんぼでも作曲なんかできちゃうだろうなあと。

世界的なバイオリニスト五嶋みどりはいかにして世界的になりえたのか。『母と神童』はこのみどりの母である五嶋節の物語。機会があればかなりのバイオリニストになれただろうという程の腕であった節が、わが子のみどりと龍を一流のバイオリニストに育てる有様のすさまじいこと。「私、鬼やったと思います」という節もすごいが、それに応えたみどりもえらい。それに比べて、娘の茶髪におたおたするばかりの私は母として全く情けない。ま、一流の人と比べてもしかたないけど。

話はとぶが、体外受精の際、他人の精子を使うのは認められても、他人の卵子を使うのは認められないという。遺伝的には母親、父親の遺伝子をちょうど半分ずつ持っているのだから、同じようなものだが、お腹を痛めた母親は強いのである。一卵性母子はあっても一卵性父子はない。良いにしろ悪いにしろ、母子関係は強力なのだ。みどりもまた、この母子関係の落し穴である摂食障害に落ちる。

節は大阪府守口市長の孫という家柄に生まれ、音楽大学に入ったいわゆる「ええしのお嬢さん」、お見合い結婚をしてみどりが生まれ、その才能を伸ばすべく母子二人きりでアメリカへ渡っていく、結局は離婚することになるが、父の影は薄い。

音楽家というからにはどれほどのインテリかと思うのに、これが正真正銘の大阪のオバハン的会話がぞろぞろ出てくるもんやから、この本は大屋政子の本かと見紛うほどに笑えてしまう。あの有名な世界的バイオリニストの五嶋みどり母子が、いまもニューヨークのどまんなかで大阪弁でしゃべっているなんてほんまに笑える。天才的才能と強靭な精神力の人たちにちょっとした親しみを覚える。

その五嶋みどりが10歳でアメリカに渡るまで、ここ枚方市楠葉に住んでいたのだ。みどりがこどもの頃の恐かった思い出が載っている。5歳の誕生日に、駅前のデパート(松阪屋くずは店だろう)でお祝いのケーキを買ってもらい、夕方のラッシュ時の人混みで母とはぐれて一人でバスにのってしまい、降りる停留所を一つ乗り過ごしてしまったという話だ。

私は自宅近辺のウォーキングの時、この「美咲」停留所を通る。かつて、夕闇迫るこの坂道を一人の少女が泣きそうになりながらも歯をくいしばって駆けきたであろうことを。そして、この地から世界へ飛び立っていった少女がいたことを想う。

「絶対音感」  最相葉月  小学館
「母と神童」  奥田昭則  小学館

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