《家1軒建てるということは…》 勝手にコーヒーブレイク (4) 1999.02

まずは、前号掲載文の訂正です。「グリコのエフク」は間違い。リクルートのエフク(江副…エゾエ)です。グリコはもちろん江崎。まあ、どっちも同じ頃に社会をにぎわしたとはいうものの…

友人が「聞こえるようになったら、頭の回転よくなったと思えへん?」と同調を求めたが、ウーン…私はそれ以上に脳細胞の老化著しく、差し引きすれば確実にマイナスだね。勘違い、思い出し違い、度忘れと、老人力がついてきた。(力の読み方、リキかリョクかはっきりわからなかったが、ロウジンリキが正しい)

ベストセラーの『老人力』もおもしろいけれど、赤瀬川源平氏の作品なら、我輩は施主である。家はまだない。これから建てる…で始まる『我輩は施主である』が笑えた。

有名人であれ、凡人であれ、家一軒建てるのはとてもたいへんなことなのだ、物件購入の時、何枚もの書類を前に、「ここに印鑑を…」「それから、こことここにも…」「ええと、ここに捨て印を…」実印を持つ手がぶるぶる…なんてね、幸い、私の場合は、夫が家計管理しているので、こういう目には遇わずにすんだが。

さて、赤瀬川さんは三年近くかけてめでたく土地を見つけ、友人の藤森教授に設計を頼みます。

「アトリエは二十畳ほしい」
「プロ並みじゃない…」と教授。
「え!?」(赤瀬川さんの本職は画家なのに)

家の間取りというのは、考えているうちにいろいろ伸び縮みする。ある部分がふくらみながらある部分が縮み…
台所がじわじわ出てきて、客間がするすると引っ込み…

私宅は建て替えだったので、今の敷地の範囲で間取りを考えなければならなかった。建ぺい率、容積率、北側斜線等、覚えましたね。リビングはこれ以上削れない。とすると、どこかで一畳減らさなあかん、どこもかしこも陣取りゲームのサバイバル状態。解体工事の日は迫ってくるは、設計のための間取りは決まらんはで、毎晩、夫と二人頭を抱えてため息。結果的には床の間もやめてしまったし、たった半畳がどうにも工面できず、そのしわよせがトイレに及んで涙ぐましいばかり。

座敷、床の間、濡縁、棚間とかいうのは、空間があってこそ生きるんだ…ということだから、ま、床の間はやめて正解だったわけ。

「それからね、屋根はニラにしましょう」

なんと、屋根の上に、あのニラレバ妙めのニラを植えてしまうのです。教授の家の屋根はタンポポなので、次はニラなんだって。

思わず、ほんまかいな、といいたくなるような話だけれど、本当らしい。

うちみたいなハウスメーカーのプレハブ住宅でもたいへんなのに、山へ材木を伐りだしに行ったりで、ハンドメイドの家はもうすごいですよ。

というわけで、家を建てるというのは、かようにしんどいものなのだ。

我が家もやっと設計が決まり、古家を解体するための引っ越しをした翌日に、私は人工内耳の手術のために入院した。その3カ月の間に家の建て替えと入院、息子の大学受験が重なり、私は大金、体力、気力を使い果たしたというわけだ。同じ時に阪神大震災、地下鉄サリンも起こり、95年は私にとって忘れられない年になった。

『我輩は施主である』  赤瀬川源平  読売新聞社

inserted by FC2 system